真梨幸子mariyukiko’s blog

【公式】真梨幸子(&マリモナミ)の最新情報

お墓を買いました。

五十を過ぎると、どうしても考えてしまう、死後のこと。

で、ここ数年、街をぶらついてはお墓を探していました。

都営のお墓にも応募しようとしましたが、そこでふと思ったんです。

「お墓を買ったはいいが、誰が管理してくれるの?」と。

そう。子孫を残すのをやめたお一人様最大の悩みは、お墓守りになってくれそうな人がいない!ということです。

どんなに立派なお墓があったとしても、お墓詣りに来てくれる人もいなければ、守ってくれる人もないとなると、あの世でかなり肩身の狭い思いをするんじゃないかと。

「……あの人、お一人様だから、誰もお墓詣りにきてくれないのね……」と、お彼岸やお盆のたびに、冷たい視線を送られるんじゃないかと。あの世でそんな思いするのは嫌だな……と思い、普通のお墓を購入することは断念。

じゃ、なににする?と思いを巡らせていたところに、「日本文藝家協会」の会報が。なんと、富士霊園の一角にある「文學者之墓」第9期の募集が!

飛びつきました。ここだったら、お墓が放置される心配もありません!

「文學者之墓」は、いわゆる共同墓で、壁のような長い石碑にペンネームを刻みつけるというもの。生前でも刻むことができて、その場合は朱字となり、実際に納骨されたときに黒字になります。

で、本人の他にも、親族の名前を裏に刻むことができるというので、マリモさんの名前を刻んでもらいました。もちろん、別途費用はかかります。

でも、さすがに、躊躇しましたよ。「猫の名前を刻んでいいのか?」と。

が、お墓の規定には「ペット不可」の文字はない。ダメ元で事務局の担当さんにお伺いしたところ、

「え?」と一瞬、絶句されてしまいました。ああ、やっぱりダメか……と思ったら、「ペットがダメだという記述はありませんので、大丈夫でしょう」という前向きなお返事。ということで、マリモさんの名前も、私の名前の裏に彫っていただきました!

 

で、先週の10月5日、年に一度の墓前祭がありましたので、私も参加してきました。

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これが、私のお墓。

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尊敬する市川森一先生と同じブロックで、大興奮!

すかさず、記念撮影。

 

で、その裏が、マリモさん。

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私の両隣の方が、裏になにも刻まなかったおかげで、なんだか、マリモさん名前がかなり目立ってしまいました。さすがは、マリモさん。引きが強い!

 

そんなこんなで、無事、私のお墓問題も解決しました。

私が死んだら、ぜひ、お詣りに来てくださいね!

富士霊園、めちゃくちゃいいところですよ!

その壮大さと、行き届いた管理に、思わず息を呑みました。

なんでも、日本最大規模の墓地なんだそうです!

もちろん、富士山もばっちり。

死ぬのが今から楽しみです。

 

www.fujireien.or.jp

 

 

縄文人は新人類?

ここ数年、暇をみつけては縄文時代を調べています。

アフリカで生まれた人類がアフリカを出て、世界各地に散らばったグレートジャーニーを追いつつ、人類地図をこつこつと作成しています。

で、ここにきて躓いています。

ところで。

はじめは、人類はO型しかいませんでした。で、農耕をはじめるようになってA型が誕生し、牧畜をはじめてB型が誕生しました。なのでとても乱暴にいうと、狩猟系原住民O型、農耕系ヨーロッパ人A型、牧畜系アジア人(蒙古人)B型と分類することができます。

つまり、血液型は人類の進出の歴史と密接な関係にあります

O型はおおらかで頼もしく(狩猟)、A型は保守的で社会性に富み(農耕)、B型は自由な旅人(遊牧)という一般的なイメージとも合致します。

で、問題なのがAB型。AB型は1000年前に突然誕生したとても新しい血液型です。ユーラシア大陸の西側(ヨーロッパとアジアの境)を遊牧していたアジア人(B型)が農耕民族のヨーロッパ人(A型)と出会って、突発的に誕生した血液型だそうです。

つまり、平安時代の末期まで日本にはAB型はいなかったというわけです。

思うに、ヨーロッパとアジアの境で誕生したAB型が日本に登場するのは割と最近のことなんじゃないかと。

で、ここからが問題。

縄文人の末裔ともいわれるアイヌ民族になぜかAB型が多いんです。

なんとその割合18%にもなります。世界的に見てもこの数字はかなりの高さ。どの国でも10パーセント以下、AB型がゼロな国もあるほどなんですから。

しかも、アイヌ民族の最多血液型はB型。

B型は、新モンゴロイド(蒙古人=遊牧民)に多い血液型です。

一方、アイヌ民族は、古モンゴロイド人だといわれています。そう、農耕も牧畜もまだはじまっていない狩猟時代に、アフリカを出てアメリカ大陸まで渡ったアドベンチャー民族。つまり、人類みなO型時代の民族です。事実、古モンゴロイド系のアメリカンネイティブ民族は圧倒的にO型が多い。

なので、同じく古モンゴロイド系のアイヌ民族はO型が多いと思っていました。が、むしろO型は少なかった。

 

それにしても、1000年前にようやく誕生したAB型。

人類の歴史からみるとまさに「新人類」なんですが、どうしてアイヌ民族に多いのか?

 

人類の世界進出履歴をこつこつと地図にしていくこと約一年。 ここにきて、覆されました。

アイヌ縄文人の末裔だと考えると、ますます混乱。

……縄文人、あなたたちはいったい、どこから来たの!

もしかして、未来?

 

 

 

ちなみに、私は、AB型でございます。

ちなみに、猫の血液型は、圧倒的にA型。

ほとんどがA型です。

ところが、ブリティッシュショートヘアはほとんどがB型なんですって!

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猫生相談。

今日は、東京都にお住いの、マリモさからのお悩みです。

 

『うちの同居人に、ほとほと困り果てています。

ブログやTwitterじゃ、あたくしのことを「マリモさん」なんて呼んでますけどね。

リアルで「マリモさん」なんて呼ばれたことないわ。

それでも、はじめのうちは「マモマモたん」とか「マーモたん」とか、「マリモ」をもじったあだ名だった。

それがどんどん「かわい子にゃん」とか「おりこうたん」とか、名前とは関係な呼び名になっていたったのよ。

それでも、「かわいい」とか「おりこう」とかなら許容範囲よ。まんざらでもないわ。

ところが、さらにエスカレート。

「ぱんぱこぱんのまにょまにょまん」とか「ぱにゅぱにょむーなのぴきぴきぽん」とか、いったいどこから出てきたの?というような名前で呼ばれるようになっていったわ。っていうか、本名より長いあだ名って、どういうこと? あだ名って、そもそも、呼びやすいように短縮するもんじゃないの?

「ぱこぱこぱんぱんなにぬねの」とか「ぽんぽこぴーなでとんとことん」とか「たっぽんたっぽんちっちょりーな」とか「ぱにょぱにょパンパカパン」とか、もう意味不明。

あまりにいろんな名前で呼ばれるから、あたくしのことを呼んでいるのかそうでないか、よく分からなくなってきたわ。

だから、最近ではもっぱら、無視。

すると、「ぱにょぱにょぱのピーポーパーポが無視した!」って怒り出す始末。

もう、ほんと、手に負えないの。

こんな面倒な同居人とうまく付き合うには、どうしたらいいんでしょうか?』

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解答。

同居人がなにか言葉を発したら、とりあえず尻尾を振ってみてはいかがでしょうか。

適当でいいんです。ひょいと軽く振れば、

それで、同居人も喜ぶはずです。 

歌に込められた裏側

以前、BSプレミアムで、「なかにし礼」さんの特集がありました。

私が「ああ、この歌好きだな…」と思うものは、たいがいなかにし礼さんが作詞で、ザ・タイガースの「美しき愛の掟」とか岩崎良美の「あなた色のマノン」とかレイジーの「地獄の天使」とか、ほんとに枚挙にいとまがございません。

特に弘田三枝子の「人形の家」は、カラオケに行ったら必ず歌います。

その「人形の家」。

なんと、男女の恋を歌ったものではなくて、国の政策で満州にいったはいいが戦後「帰ってくるな」と国に捨てられた棄民たちの心情を歌った歌なんだとか。

なかにし礼さんは、満州生まれ。戦後、帰国するまでには相当の苦労をなさった。蜘蛛の糸を掴むように日本を目指したものの、国は「移民は戻るべからず」の姿勢。そのときに感じた悲しみと絶望を「人形の家」に込めたんだそうです。

で、今日。同じくBSプレミアム喜納昌吉&チャンプルーズの「ハイサイおじさん」が取り上げられていました。この底抜けに陽気な歌は、誰でも一度は聞いたことがあると思います。

作詞作曲の喜納昌吉さん曰く、ハイサイおじさん」の歌詞は実話に基づいているとのこと。その実話というのが…。

ハイサイおじさん - Wikipedia

 

あまりにあまりな事件で、「えええええ!」と夜中に絶叫してしまいました。

そんな陰惨な事件を、あんな明るい曲に変換してしまうなんて…。

 

実話をここまで変換してしまう天才クリエイターたちの表現力に脱帽するしかありません。

長年の謎が解けた!

私の世代、小学校で習う地図記号には「桑畑」がありました。サンプルとして教科書に載っていた地図は、桑畑だらけ。

でも、当時の私の近所には桑畑なんかなくて。

「うちの近所にはないけれど、きっと、日本の各地に桑畑はフツーにあるんだろうな……」と。

あれから数十年。いろんな地域に引っ越しましたが、桑畑にはついに巡り会えず。

会社員だった頃、同僚たちにそんな話を振ってみました。各地から上京してきた同僚たちも「桑畑」は見たこともないと。

……もしかして、「桑畑」、かなりマイナーなものなんじゃないかしら。なのにどうして、地図記号ではあんなにでかい顔をしていたのか?

という長年の疑問が、昨日、ついに解けました。

 

昨日、両国の「江戸東京博物館」に行ってきたんです。その片隅に展示されていたこんなパネル。

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なんと。明治維新の頃、廃墟となった武家地に「桑畑」が作られたんだそうです!

つまり、武家地が密集していた都心は、一時期は「桑畑」だらけ。

もしかしたら、その名残で、昭和に入ってからも東京の一部では桑畑は多かったのかもしれません。

それが、あの地図記号に結びついた……と。

つまり、「桑畑」は、明治維新の亡霊だったのです。

この推理、当たっているかしら?

 

ちなみに。

今、検索してみたら、桑畑の記号は、廃止されているみたいです。

でも、廃止されたのが2013年ですから、つい最近まで存在していたというのが驚き。

明治維新の亡霊、粘りましたねー