例の座間市の事件。
犯人は、自殺したがっている女性を探してターゲットにしていたようですが、
思春期に差し掛かるとどういうわけか「自殺」したがるのは今も昔も変わりません。
しかも、ひとりじゃなくて、「心中」をしたがる。
江戸時代の心中ブーム、戦後の「天城山心中」(厳密には無理心中または殺人)、太宰治の影響による心中ブーム。
私の母も、「太宰治に影響されて、心中したい時期があった」と告白していますし、あるきっかけで知り合った高齢の女性も「若い頃、心中したくてしかたなくて、雑誌の文通覧に『一緒に心中してくれるかた手紙をください』と募集をかけたことがあるとか。
つまり、「心中」症候群は「ネット時代」の闇ではなく、「ホルモンバランス」の闇です。
思春期はホルモンバランスが崩れ、頭がとにかくカオスになります。
社会の矛盾や大人の不甲斐なさを知る時期でもあり、現実がとても「汚れて」見えるんですよね。で、その汚れた世界から自分を救ってくれるのが「死」。
私にも覚えがありますが、「死」がとてもキラキラとしたものに感じるんです。高揚感があるといいますか。
特に日本は「自殺」を美化する傾向にありますから、なおさら。
それは、「恋」に「恋する」心境とも似ている。
「恋」が生殖本能からくる感情の乱れだとすると、「心中症候群」は、たぶん、「恋」の感情が著しく捻れた求愛行為なんじゃないかと推測。
つまり、ただ、「相手」が欲しいだけなんです。
自分を認めてくれる「相手」がほしいだけなんです。
一方、生活苦や病気の苦しみ、そしてうつ病や人間関係で本当に苦しんでいる人は、突然自殺します。
「死にたい」とか「一緒に死んでください」など予告はしません。
それが、「心中症候群」との大きな違いです。
さて。
ホルモンバランスも整い、思春期を過ぎると、熱病のように浮かされていた「死」への憧れが、一瞬にして黒歴史となります。
「あんなことを考えていた痛い過去を消したい」と。
つまり、自殺症候群は、恋の病と似て、一過性のものだと私は断言できます。
ところが。
恐ろしいことに、ホルモンバランスの乱れは、思春期だけではありません。
「更年期」があります。
この時期、もしかしたら「心中症候群」が再燃する人もいるかもしれません。
そんなとき、考えてみてください。
「あなたの体は、あなた一人のものじゃない」
これは、なにも、「家族」や「友人」のことをさしているわけではないんです。
体は、細胞の集合体。太古、その細胞は独立していました。その例のひとつがミトコンドリア。
個々の細胞が結合したり取り込まれたりして、現在、ひとつの体が構成されています。その細胞ひとつひとつが、生きるために日々、必死に活動しています。
心臓をはじめ、どの細胞も24時間休むことなく。
つまり、自殺すれば、それらの細胞もろとも殺すことになります。
一時的な「感情」の暴走で、そんな虐殺を行っていいんでしょうか?
……NHKスペシャルの、「人体」シリーズを見てみてください。
私たちの体は、「自分ひとりのものじゃない」ことが実感できます。
前置きがえらく長くなりましたが、
座間のクーラーボックス事件。
容疑者の男も、たぶん「心中症候群」にとりつかれた一人だったんだと思います。が、彼は、自分の体だけでなく、他者の体も葬った。
何億個の細胞たちを。
この償いは、今生だけでは間に合わないような気がします。