真梨幸子mariyukiko’s blog

【公式】真梨幸子(&マリモさん)の最新情報

ご無沙汰しています

ブログを放置していました。

気にはなっていたんです。

 

お詫びに、

マリモさんのセクシーショット。

 

 

 

(マリモさん行きつけの病院ブログから拝借)

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丸山ワクチンと森鴎外

今日の「仰天ニュース」で取り上げられた「丸山ワクチン」。

私が小さい頃に「夢の薬」として話題になり、そしていつのまにか「効果なし」「インチキ」のレッテルを貼られてしまい、私の記憶からも抜け落ちてしまいました。

が、私が知らなかっただけで、「丸山ワクチン」とそれを支持する人々の戦いは続いていたようです。

ネット騒然。「丸山ワクチンという優れた薬が、利権亡者たちによって潰された!」と。

が、反論する人も多い。「丸山ワクチンはそもそもインチキだ」「陰謀で潰されたわけではない」「これだから陰謀論者はww」と。

つまり、「丸山ワクチン」は嫉妬や陰謀で潰されたわけではない、はじめから効果などないから、今も認可されないのだ……と。

そんなやりとりを見ていて、どこかで見たような……と。

で、思い出しました。

「あ、森鴎外だ!」

 

森鴎外は、一般的に「文学者」と知られていますが、本業は医者。それもかなり地位の高いお医者様。なにしろ、東大医学部卒の陸軍軍医トップ様です。

そんな森鴎外は大変なことをしでかします。

日露戦争で、約3万人の陸軍兵を殺してしまったのです! 敵側の兵士ではなく、日本の兵士を。日露戦争戦没者は約8万8000人。そのうちの3万人が、森鴎外の失策のせいで死んでしまったのです。

3万人が亡くなった原因は「脚気」。

脚気は当時、謎の病でした。そして、日本の軍隊で蔓延していました。

ドイツでは「伝染病説」が唱えられます。ドイツ大好きな森鴎外は、この説をとり、

脚気は伝染病だ」と断言。

一方、海軍の軍医高木兼寛(鹿児島医学校出身)は、経験から「食べ物」に注目。栄養的なものが原因ではないのか?という仮定のもと、兵食に肉(カレー)や麦飯を取り入れました。※言わずと知れた「海軍カレー」のことです。

その結果、海軍の脚気はゼロに。

海軍は、食事を変えることで、脚気撲滅に成功したのです。

 

が、陸軍はそれを認めない。

「タマタマだ」「倫理的に説明せよ」「地方の医学部出身の軍医のくせに」と、徹底的に非難にするのみ。

食事を変えたことで脚気がゼロになった……という立派な症例があるというのに、それを認めないのです。

それは、軍医トップの森鴎外が「脚気は伝染病または中毒」と譲らなかったからです。東大医学部出身の森鴎外が言うのだから、間違いないと。

今となれば、脚気の原因は糠や麦や肉に含まれる「ビタミンB1」の欠乏だと知られていますが、当時は「ビダミン」すら知られていませんでした。だから、その因果関係を倫理的に説明することはできない。でも、食事と関係していることは結果が証明している。

が、組織のお偉様は「因果関係を示せ」「倫理的に説明しろ」と。

 

そうこうしているうちに、日露戦争がはじまります。海軍はカレーと麦飯で脚気は相変わらずゼロでしたが、陸軍は脚気で兵士がバタバタ死んでいく。

陸軍の中にも、「麦飯を支給してはどうか?」という声も上がったのですが、森鴎外はそれを頑として認めません。東大卒というプライドからなのか、ドイツという権威から離れられなかったからなのか、地方医学部出身の高木の説を、森鴎外はどうしも受け入れることができなかったのです。「脚気は伝染病説」に固執

そして、副食なしで「白米」(糠を取り除いた)のみ支給しました。

結果、約3万人が、脚気で死んでいったのです。

 

 

ところで、高木兼寛が達成した脚気撲滅の論文は、外国で高い評価を受けました。それは未知の「栄養」の存在に気づかせてくれるもので、「ビタミン」の発見につながっていくのです。

ちなみに、「ビタミン」の概念を世界で最初に提唱したのは、日本人の鈴木梅太郎す。が、彼は「東大」出身ではありましたが農学部出身で、医学者ではなく農学者でした。医学会はざわつきます。

「医者でもないやつは引っ込んでろ」「素人の戯言だ」と、散々にバカにされ、「インチキ」のレッテルまで貼られて排除されてしまいます。

そのせいで、世界で最初にビタミン発見……という栄誉を逃してしまいます。

その影には、またもや森鴎外

森鴎外が、どうしても認めなかったのです。「ビタミン」という概念を。

そして、相変わらず脚気は「伝染病」として譲らなかった。

頑固な森鴎外のせいで、陸軍ではその後も脚気で軍人がどんどん死んでいきました。

陸軍で、麦飯がようやく支給されるようになったのは、森鴎外が軍医をやめたあとだそうです。その期間三十年。その間、いったいどれだけの人が死んでいったのか……。

 

論理にこだわりすぎて、学術的権威にこだわりすぎて、学閥にこだわりすぎて、プライドにこだわりすぎて、大切ななにかを失念する。

 

どうですか?「丸山ワクチン」を巡る騒動ととても似ていませんか?

 

 

欠点は宝

私と同じメフィスト賞作家さんが、読者に噛み付く…というニュースがありました。

作家さんのほうに非難が向きましたが、私としては作家さんの気持ちが痛い程分かります。

ビビリな私は、辛辣レビューした人に突撃することはしませんが。

でも、とことん陰湿な性格なので、意地悪なレビューを見つけては、デスノートにこっそり記しています。

 

さて。

作家デビューしたとき。担当さんに言われたのが、

「ネットで、自分の名前を検索しないこと。レビューを見ないこと」。

言われて、

「はい、分かりました」とは言ったものの、

エゴサーチしない作家さんなんているんでしょうか?

作家に限らず、表現者ならば、絶対気になると思うんです。

私は、担当さんに警告されたその日に、早速エゴサーチしていました。

まあ、辛辣な意見がザクザクと。

中には悪意に満ちたものも。

で、思いました。

「作家として続けていく…ということは、この不特定多数の悪意を華麗にかわす精神力を育てるということなんだろうな」と。

 

私も、若い頃は、映画や漫画を見ては、結構辛辣なことを言っていたものです。毒舌かましている自分ってカッコいい…と酔っていたというか。

当時はネットはありませんでしたから、身内や友人に言っておしまいでしたが、今思うと、かなりこっぱずかしい。

というのも、当時けちょんけちょんに貶していた作品が、今見るとかなりよかったりするんですよね。

もちろん、その逆もあります。

当時は手放しで「素晴らしい!」と評価していた作品が、今見ると「え?」と。

つまり、作品の評価って、相対的。

時代や環境や年齢によって、かなり変わってきます。

 

で、半世紀生きて、分かったこと。

「この世に、〝絶対的な〟傑作も駄作もない」

 

例えば。

「殺人鬼フジコの衝動」は、単行本として発売されたとき、けちょんけちょんでした。

「更年期少女」(みんな邪魔)も、読書メーターに最初についたレビューは「駄作」の烙印。

ですが、この二作は、後に、よく売れてくれました。もちろん、売れている=高評価ではなく、今もそのレビューの中には「けちょんけちょん」もたくさん含まれています。

 

「けちょんけちょん」なレビューを読むと、私の欠点(癖)をずばり指摘してくれています。

でも、思うんです。「欠点(癖)」こそが、その作家特有の「個性」になり得る要素なんだと。

一方、「長所」というのは、大多数の人がいいんじゃない?と認める折り合い点に過ぎません。つまり、平均的な要素。これは、「個性」にはなり得ません。

長所を伸ばすだけでは、人の記憶に残るような「個性」にはならないんです。平均的になるだけで。

平均的な作品を書けば、そこそこ評価はされるでしょうが、「そこそこ」で終わりです。

平均的な美しい顔が、まったく印象に残らないのと同じです。

 

私の作品でいえば、「登場人物が多い」「話がてんこ盛り」「話が入り組んでいる」という点が「欠点」としてよく挙げられます。

素直な人なら、「よし、この欠点を修正しよう」とするでしょう。

でも、天の邪鬼な私は、それをしないできました。

むしろ、「欠点」を磨いてきました。

「この欠点の中に、唯一無二の個性、私だけの作風が隠されているはず」と信じているからです。

 

そうして、今日もアマゾンレビューをチェックする私です。

下は、「お引っ越し」のレビュー。

見事、意見がまっぷたつw

 

 

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世田谷の例の事件をオカルト的に考察してみる

暮れになると思い出すのが、2000年の12月に起きた、「世田谷一家殺人事件」

です。2017年になった今になっても未解決事件。

で、買ってみました。

世田谷一家殺人事件 韓国マフィアの暗殺者 (角川文庫)

http://amzn.to/2BzhHi7

 

なるほど。

この事件、ヒットマンが実行犯であることは間違いなさそうです。

動機は、祖師谷公園拡張計画による立退料をめぐるトラブル。この動機も腑に落ちます。

では、ヒットマンに依頼した黒幕は誰か?

上記の本では、とある組織に属する人物を挙げていますが、私にはその線はちょっと無理があるかな…と。

 

ところで、事件現場になった家は、今も事件当時のまま保全されています。

祖師谷公園を拡張するために立ち退いてもらうはずが、事件のせいで拡張計画は棚上げ。

地図で見ると、なにやら不思議なことなっています。

公園の中に、ぽつんと一軒家が。

地図を眺めて思いました。

「もしや、真の黒幕は、〝土地〟そのものなんじゃないか?」と。

常日頃、その〝土地〟が持つ〝因縁〟を考えている、オカルト好きな私です。

 

ということで、この土地の履歴を検索。

もともとは、旧東京教育大学の農場跡地だったそうです。で、1975年に公園計画が実行され、開園。

ちなみに、この公園計画は1943年に立てられたもので、それから35年経ってようやく始動したというわけです。

が、その35年の間に公園予定地には住宅が建ち、(たぶん)計画していた規模よりも小さい公園しかできなかったんじゃないかと。

でも、公園計画があるかぎり、ここで諦めないのが行政。

なにがなんでも、計画を実行しようとします。

で、1991年より、公園を(予定通りに)拡張するために、住宅の買収を開始します。

事件が起きた現場の家も、2001年には立ち退きすることが決まっていたそうです。

 

ところで、この事件現場の家。ちょっとややこしい履歴があります。

それを時系列で並べると。

 

・前のオーナーが不動産ブローカーに騙されて、家を手放す。

・1990年、Mさん(事件の被害者)が、嫁の家族(姉夫婦と母)と共同で、家を中古で購入。

・Mさん一家と嫁の家族の二世帯が住めるように、改築(二世帯住宅)。

・2000年、Mさん、立退きの契約を締結。

・2000年12月、Mさん一家惨殺。

 

つまり、この家の元々のオーナーも、トラブルに見舞われて家を手放すことになったのです。

この土地に公園拡張計画があるのを知って、不動産ブローカーが狙っていたのかも。

聞いた話だと、一度立てられた公の「計画」は、必ずいつか実行されるんだそうです。そういう法律があるので、不動産ブローカーも「いつか、公園計画が再開したら、都に高値で売りつけよう」ともくろみ、元のオーナーから騙しとったのかもしれません。

それがどういう経緯でMさん一家の手に渡ったのかは分かりませんが、Mさんは、いつか公園に吸収されるであろうこの家と土地を購入したことになります。

そして、2000年。

都の立ち退き要請を受け、立退料を手にした途端、Mさんをはじめ、一家四人が惨殺されるという事件が起きます。

 

事件のせいで、公園拡張は棚上げ、中途半端な形で止まっています。

 

思うに。

この事件は、ある事情により解決することはないでしょうから(犯人が分かっていても)、祖師谷公園は永遠に、中途半端な形のまま放置される気がします。

こうなると、なにかとてつもない「大きな」力を思わずにはいられません。

「土地」の怨念とという力を。

この「土地」の目的はなんなのか。

それが知りたいところです。もっともっと歴史を遡れば、なにか分かるかもしれません。

 

そういえば。

事件が起きた数年後に、現場近くに謎の地蔵が置かれた…という事件もありました。

お地蔵さんは、なにかを伝えに現れたんでしょうか?