真梨幸子mariyukiko’s blog

【公式】真梨幸子(&マリモナミ)の最新情報

こんな夢を見ました2

昨夜というか今朝方、母の夢を見ました。四十九日以来。
その夢というのが「私、この人と結婚するから」という報告。
相手は、母が若いころ付き合っていたチンピラ。

 

当時、母は鹿児島のキャバレーでホステスをしており、

私は施設に預けられていました。

で、あるとき、母に引きとられたのですが。

そのとき、部屋にいたのが、そのチンピラ。

母は、この男と同棲してました。

真剣に結婚も考えていた模様。

が、定職にもつかず、悪い連中と悪いことばかりしているような人で。

なにより、私が懐かず。

母は結婚を諦め、鹿児島から川崎に上京したのですが。

 

でも、そのチンピラとは隠れて連絡しあっていたようで、

あるとき、幼稚園から帰ったら、まるで当たり前のようにその男がいて、

しかも、靴を磨けと命令されました。

私は泣きながら男の靴を唾だらけにして、唾で磨きましたw

そして、家出。

(すぐに戻りましたが)

その後、男はいったん、どこかに行ってしまいます。

ああ、よかったと思ったのもつかのま。

「万博に行こう!」と母に大阪に連れて行ってもらったのはいいんですが、

なんと、そこには、あのチンピラが!

そう。そのときの本当の目的も、そのチンピラに会うためだったのです。

 

 

あまりにも私がその男に懐かないので、

結局、別れたようですが。

 

でも、母は、そのチンピラのこと、今でも好きだったのか……

結婚したいほどに。

 

婚姻届けにサインする母を見ながら、

「え? まじ?」と私。


そこで、目覚めました。
なんでこんな夢を…とテレビをつけたら、
今日は春分の日。つまりお彼岸じゃないですか!

 

というか、その鹿児島のチンピラも、あの世の住人ってこと?

 

ちなみに、

鹿児島時代の、母と私。

私はパンチラで、どういうわけか桜島大根を抱えてます

f:id:mariyukiko:20190321135416j:plain

 



 

こんな夢を見ました。

母が亡くなったあと、

母の夢を、見ていません。

弟は、よく母の夢を見ているようですが。

ああ、やはり、母は私のところには来ないんだな。

弟贔屓だったものな。

まあ、いいか。

母と私は相性が悪く、

顔を合わせると喧嘩していたような親子だもの。

夢に出てきたとしても、喧嘩するだけだろう……と。

 

ところで、昨夜のこと。

珍しく、丑三つ時が過ぎても原稿を執筆していて、脳がギンギンしてしまったせいか、

なかなか寝つけませんでした。

朝方になっても眠れない。

まあ、いいか。こんな日もあるよな……

と、ぼんやり天井を眺めていましたら。

どこか遠くで、不快な雑音が聞こえてきたのです。

そう、タクシー無線の声のような。

「……いますか? ……さん、……さん、いますか? 聞こえますか?」

的なことを、しきりに呼びかけている声です。

ああ、もう、うるさいな!

と、起き上がったとき、あれ?と思ったのです。

ここ、前に住んでいた(所沢の)部屋だ。

あれ?と思いましたが、まあ、そういうこともあるのだろう……と、

とにかく、私は、声の元を探したのです。

うるさくて仕方なかったので。

でも、なかなか見つからない。

声をよくよく聞いてみると、

「……さん、……さん、……さん」と、母の名前を呼んでるようでした。

ああ、そうか。母に用事なのか。

「お母さん、お母さん、誰か呼んでいるよ!」と、私は叫んでみました。

が、返事はない。

そうか、出かけているのか。

私は、スマートフォンを取り出し、母に電話しました。

母は、すぐに出ました。

いつもの

「あー、あんた?」という声。

「ちょっと、お母さん、今、どこ?」

「私? 私は、今、待っているところ」

「待ってるって、なにを?」

「うーん、(ごにょごにょ)」

「ちょっと、聞こえない!」

「でも、よかった。電話もらって。最後に声を聞けて」

「最後ってなに?」

「あ、もうそろそろだ」

「だから、なにが?」

「なんか、ごめんね。いろいろと」

「なによ、いきなり」

「私さ、あんたのこと、すこぐ好きだったよ」

「はぁ?」

 

「はぁ?」という、自分の声で目覚めた私です。

そう、私はいつのまにか、夢を見ていたのです。

母の夢を。

母が死んでからは、初めてです。

そして、母と喧嘩していないのも初めてです。

(夢に母が現れると、たいがい、喧嘩してます)

 

そうか。

今まで夢に出てこなかったのは、私が呼ばなかったからなんだな……と。

古典では、その相手が夢に出てこないのは、自分が忘れられているから……という解釈ですが、

冷静に考えれば、自分が見る夢だもの。自分が思わなければ、相手が夢に出てくるはずもなく。

それにしても、最後の母のセリフ。

「私さ、あんたのこと、すこぐ好きだったよ」。

私の願望なのかもしれませんが、

それが聞けて、ちょっと涙ぐんだりして。

 

でも、なぜ、今日なのだろう?

 

と、カレンダーを見たら。

なるほど。明日、四十九日か。

亡くなってから四十九日、閻魔様の最後のジャッジが行われ、

判決が出る日とされています。

そして、そのあと、いよいよあの世に旅立つと。

 

もしかしたら、

最後の挨拶に、夢に出てくれたのかもしれない。

 

そんなことを思いながら、

香典返しの準備やらなんやらをはじめたのでした。

 

追記。

 

なぜ、夢の舞台が、

前に住んでいた所沢の部屋だったのか。

……そうか。今住んでいる自宅、住所は教えたけれど、招いたことはなかったな……と思い出しました。

だから、所沢の部屋だったんだと。

所沢の部屋は母も大変気に入っていて、何度か遊びに来たことがあります。

 

そして、もうひとつ。

母は、こんなことも言っていました。

「だって、私だって知らなかったのよ。それを知ったのは17年前でさ……」

気になります。

〝それ〟ってなに?

17年前になにがあった?

 

最後に、

ミステリー(謎)を残していった母。

やっぱり、一筋縄ではいかない人です。

 

ネコメンタリー始末記

第一回が放送されてから、ずっとファンだった「ネコメンタリー 猫も杓子も。」に、まさか、自分が出演することになるなんて。。。

いまだ信じられない心境です。

なにしろ、ほぼ猫初心者。それまで猫が殊更好きだったわけでもなく、むしろ苦手で、どちらかというと、犬派でした。

 

ずっと、ペットが欲しかった。

でも、ペット不可の部屋に住んでいたし、おひとり様なので、私には高嶺の花よね……と半ば諦めていたとき。

念願の「ペット可」の部屋に住むことが叶いました。

それが、遡ること、5年前。

「飼うんだったら、もう今しかない」と、真剣にワンちゃん探しをはじめたのでした。

歳も歳だし、ワンちゃんを看取るまでお世話するには、今がタイムリミットだと思ったのです。

担当さんに付き合ってもらってショップをめぐったり、保護犬の情報が載っているサイトを覗いてみたり。

そんなこんなしているうちに、1年が過ぎようとしていました。

 

そう、2016年の2月のことです。

某デパートで買い物をしていたとき、ふと思い立って、ペットコーナーへと立ち寄りました。

アクリル板の壁で囲まれたプレイルームにいたのは、数匹の子猫。

「にゃーにゃー」と、いかにも、可愛らしい様子で戯れています。

「きゃーかわいい!」とギャラリーからも黄色い歓声が。

と、隅の暗がりのほう見ると。一匹の灰色の子猫が

「くるなー、こっちにくるなー」と、怯えるように他の猫を威嚇しておりました。その尻尾はみごと膨らんで、垂れ下がって。

私の隣にいた、ギャラリーの一人が言いました。

「あの灰色の子はダメね。まったく社会性がない。性格も難しそう。たぶん、誰にも引き取ってもらえない」と。

なんだか、カチンときたんです、私。

私のことを言われたわけじゃないのに。

で、その灰色の子猫を注目していると、まあ、確かに社会性はゼロ。

他の子猫が「遊ぼー」とちょっかい出してきても

「くるなー、くるなー」と、爪を立てて抵抗しています。

そんな様子を見ていて、唐突に思ったんです。

「あの子だ。あの子と暮らそう」

と。

それが、マリモさんとの出会いです。

犬を飼うはずが、気がつけば、隣にいるのは灰色の猫。

まあ、人生とはそういうもんです。

 

で、マリモさん、社会性ゼロ、難しい性格のまま二歳になりました。

消防点検のおじさんが部屋に入るだけでも、食欲がなくなるような人見知りさん。

心を許しているのは、私と、定期的に通っている動物病院の先生とトリマーさんだけ。

 

あるとき、ふと思いました。

「私がいなくなったら、この子、どうなるんだろう? こんなに人見知りが激しくて、気難し屋さんで。誰も引き取ってくれないかも……」

こんなことも思いました。

「なにか大きな災害があって、避難所とかで暮らさなくてはならなくなったとき、マリモさん、そんな環境に我慢できるかしら。知らない人や知らない動物がたくさんいるような環境に」

そして、こんなことを考えはじめました。

「マリモさんのご学友を今のうちに」

が、多頭飼いが難しいことは、いろんな本やサイトを見て理解はしてました。

孤独を好む猫。多頭飼いがストレスになることも。

だからといって、このまま、私とマリモさんの二人だけの閉じた世界を続けてもいいものか……。

そんな葛藤を抱きながら、マリモさんのご学友探しがはじまりました。

多頭飼いをはじめるには、先住猫さんの年齢が重要だと聞きましたので。

年齢がいけばいくほど、難しくなる。

だから、マリモさんが3歳になる前に、見つけよう。見つからなかったら、このままふたりっきりで。

そんな、どこか運試しのような感じで、保護猫サイトをのぞいたり(でも、おひとり様で半世紀以上生きている私には、保護猫を譲り受けることはできないんですけどね)、ショップをのぞいたり。

 

そして、去年の4月。

マリモさんのトイレの砂が切れてしまい、でもAmazonでは間に合わなくて、仕方なく近所のショップを検索して、買いに行ったときのことです。

はじめてのショップ。

ドアを開けた瞬間、猛烈な視線を感じました。

視線の元を見てみると、マリモさんと同じ灰色の子猫が、じっとこちらを見て、そして、しきりに瞬(まばた)きをしているんです。

どきっとしました。

だって、猫って、なかなか瞬きしてくれない。

マリモさんですら、してくれたことがない。

猫の瞬きは、強い信頼関係の印で、滅多におめにかかれない。

そんな知識があったもんですから、

「この子だ!」と、咄嗟に閃いてしまいました。

そして、トイレの砂を買いに行ったはずが、なぜか、灰色の子猫を持ち帰るという。。。。

それが、モナミちゃんでした。

 

私の閃きは間違ってはいなかったようです。

初めの数ヶ月は、新参者に警戒しまくっていたマリモさん。

尻尾が狸のように膨らみ、でも、垂れ下がっている。そんな毎日でした。

一方、尻尾をぴーんと立てて、

「おねーちゃま、おねーちゃま」と、

果敢にじゃれつくモナミちゃん。

じゃれつきが喧嘩になることも多いのですが、よくよく観察してみると、どちらとも爪は立っていません。

 

そうこうしているうちに、「ネコメンタリー」の出演依頼が。

去年の暮れのことです。

正直、悩みました。

それまでのネコメンタリーの猫さんとはまるで違う、

一見、修羅場に見えるマリモさんとモナミちゃんの激しいじゃれあい。

画(え)にならないんじゃ……。

なによりNHK的にNGなんじゃ……。

それ以前に、マリモさんが、撮影クルーを受け付けないんじゃ……。

でも、ダメもとで引き受けることに。

案の定、撮影2日目まで、マリモさんはどこかに隠れて、一向に出てこない。

その穴を埋めようというのか、大はしゃぎなモナミちゃん。目にもとまらない速さで縦横無尽に飛び回ります(そのせいで、膀胱炎になるという。。。)

モナミちゃんの動きが激しくて、

「お、追えない……」と嘆くカメラマンさん。

 

ああ、これじゃ、撮影にならないな……と暗い気持ちに沈み込んでいた撮影3日目、

ようやくマリモさんが顔を出してくれました。

そして、人(猫)が変わったように、カメラの前でポーズ。

モナミちゃんが来る前だったら、まったく考えられなかったこと。

ああ……。

喧嘩ばかりだけど、それなりに社会性を学んでいてくれたのだな…と、親バカな私はひっそりと涙。

これで、いつ死んでも、この子たちは大丈夫。

 

いやいや、死にませんよ。

あの子たちより先には!

頑張ります。

今年もよろしくお願いします

なんだか、かなりのご無沙汰になってしまいました。

気がついたら、2019年。

去年の秋口から年末進行の前倒し仕事に追われ、

それらをバッサバッサと華麗にやっつけ、

ようやく年賀状も投函し、

やれやれ、ようやく一息つける…と思った年末、事件が次から次へと。

結局、一息つく間もなく、年が開けてしまいました。

 

で、最も大きな事件は、母の危篤です。

この一年、入退院を繰り返してた母ですが、いよいよ心肺停止。

その報せを受けて病院に駆けつけると、

チューブだらけの痛々しい姿で横たわっていました。

 

心肺停止はしましたが、心臓マッサージで蘇生、

チューブだらけになって、なんとか命をつないでいる状態でした。

終末医療の現実を思い知らされました。

 

こんな状態で、辛いだろうな。

本来なら、心肺停止した時点で寿命。そのままあの世に逝ってしまったほうが、本人的にはよかったんじゃないか?

医学の進歩で生き返らせてしまったが、こんなチューブだらけで、本人はどう思っているのだろう?

 

それをどうしても本人から聞きたくて。

 

本日、お見舞いにいってきました。

相変わらず寝たきりで、チューブにつながった状態ですが、会話はなんとかできるまでに回復。

 

訊くなら今しかない!と思い、

「心肺停止したのは、覚えている? 一度、死んだんだよ?」

すると、

「うん」

なんでも、病室の天井から、故人となった親族がぞろぞろやってきたんだそうです。

で、一番仲の良かった姉が手を差し伸べてきて

「こっちに来る?」と。

母がその手をとろうとした瞬間、

はっと、目が覚めたんだそうです。

見ると、白衣を着た医者が、チューブを持ってこっちを見ている。まるで、金棒を持った鬼。

そのチューブはいや。痛いのはイヤ…と、母は死んだ振りをしようとしたんだそうです。

が、チューブがこっちにやってきて、思わず、

「いやだ」

と、払いのけてしまった。

つまり、死んだ振り、失敗。

そして、気がつけば、チューブだらけに…。

できれば、あのまま姉の手をとって、あっち側に行きたかったと、母。

でも、生き返ってしまったのは、きっと、こっち側に未練があったんだろうな…とも。

 

いずれにしても。

死の執行猶予を与えられた母。

その期間がどのぐらいなのかは分かりませんが、

この機会に、伝えたいことはすべて伝えておいてほしいものです。

 

あ、そして。

お迎えに来たあの世の親族たち。

みんな、それぞれ苦労の末、苦渋に満ちた最期でしたが、

母をお迎えにきた彼らは、みな幸せそうな顔をしていたそうです。

その様子を見て、

死ぬことはもう怖くない…と思ったんだとか。

 

臨死体験をした人はみな、そう言います。

「もう、死ぬのは怖くない」

と。

 

いったい、脳にどういうプログラムが仕込まれているのか分かりませんが、

臨死体験は、幸福感に充ち満ちているんだそうです。

脳内麻薬のなせる業かもしれません。

 

それとも。

本当に、「あの世」はあって、

そこは、楽園なのかもしれません。

 

 

性的弱者とは

性的弱者とは。

それは、男性のほうだと思うのです。

だって、男性は、どんなに教養があってもどんなに地位が高くても、

場所も立場も年齢もわきまえず、性欲がむき出しになってしまう瞬間がある。

昔ならいざ知らず、現在、公共の場所(例えば電車の中)とかで、性欲がむき出しになったら、間違いなく、その人の人生は終わります。

そんなリスクがあると分かっていても、男性はその刹那の情熱に身を任せてしまうときがある。

なぜ?

それは、男性は、万年発情期の呪いをかけられてしまっているからです。

 

さて。

本来、生物には発情期というのがありまして。

交尾のシーズンはちゃんと決まっていて、そのシーズン中はメスもオスも、おもいっきり、子孫を残す行為に没頭することができます。そして、シーズンが過ぎれば、性欲も消滅。

ですが、ヒトの女性は、進化の過程で、発情期を捨てました。

性器も隠すことにしました。

なぜか。

男性の意識を、365日、24時間、常に、女性に向けさせるためです。

男性は、女性が妊娠に適した時期にあるかどうか、常に気にしなくてはならなくなり、その準備をしておく必要にも迫られました。

結果、男性は万年発情期に。

365日、24時間、女体を妄想してムラムラしてしまう呪われた存在になってしまったのです。

極端にいえば、

女性は「交尾」を餌に、男性を「奴隷」にすることに成功したのです。

 

古代、

人類は、女性が中心の世の中だったと考えています。

交尾という人参をぶら下げて、男性を翻弄し働かせていたと。

が、時は流れ、

あるとき、虐げられていた男性側が革命を起こし、

現在に続く、男性優位な世界が構築されていったんじゃないでしょうか。

なにしろ、体力も腕力も、男性のほうが上ですからね。

「暴力」という手段をとられたら、女性は手も足も出ないのです。

そうして、

本来ならば、女性の「武器」であった「性的」なものが女性の弱点となり、

男性に搾取されるようになる。

男性も、それまでの恨みをはたすべくき、女性の性を弄んできた。

……で、今にいたる……と。

 

では、未来はどうなるか?

(男性だけが持つ)Y染色体は消えつつある運命。

つまり、そう遠くない将来、「男性」は消滅。

アブラムシのように女性だけの単為生殖になるか、

タツムリやミミズのように雌雄同体となるか。

いずれにしても、

その頃には、文学や映画や漫画や絵画や音楽などの芸術は廃れていることでしょう。

なぜなら、

芸術全般は「性欲」のはけ口のようなものであり、「性欲」を発散しそして閉じ込めるものだからです。

 

 

まあ、

あくまで、個人的見解ですが。