真梨幸子mariyukiko’s blog

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「おめでたい」ことについて、考える。

結婚、家の購入、子供の誕生。

世の中にはいろいろとめでたいことがあり、それに伴う儀式もあります。

さて、なぜ、儀式があるのでしょうか?

それは、「悪」や「魔」を封じるためなんですよね、そもそもは。

「悪」や「魔」というのは、人間の中に巣食う「嫉妬」の感情を指します。

そう、昔々から、めでたいことには「嫉妬」がつきまとうのです。

それを封じるために、人々は儀式を行ってきました。

一番顕著なのは、「建前」(上棟式)ではないでしょうか。

今は少なくなりましたが、私が小さい頃は、家を建てるときは、必ず「建前」をしたものです。

建前があると聞くと、どんなに遠くてもいそいそと出かけました。

餅やお菓子や、お金が入った袋を投げられるからです。

特にお金が入った袋をゲットするととても嬉しくて、それを振舞ってくれた人(家を建てようとする人)に対して、「ありがとう」「おめでとう」と心からお祝いしたくなります。

そう、これこそが、建前の目的なのです。「幸せのおすそ分け」。これをしないと、世間に何を言われるか分からない。

結婚式もそうです。

新郎新婦は、本来は飾り物。主役は、呼ばれたお客さんのほうです。

披露宴は、お客さまを接待するのが、本来の目的。

新郎新婦のファッションショーでも、ラブラブのアピールの場でもありません。

 

古今東西、人々は、世間の「嫉妬」に敏感で、それを封じるためにありとあらゆる方法を見つけてきました。儀式と言われるのもののほとんどが、その結果生まれたものだと私は認識しています。

なのに、昨今。

「私の幸せは、他者の幸せ」と思い込んでいるジャイアン的な思考の方が多いような気がします。

だから、「婚テロ」なるものが話題になっているんじゃないかと。

本来、「私の幸せは、他者の痛み」なのです。

他者の痛みをどう和らげるか、それが「思いやり」ともなり、結局は自分の幸せにつながるのです。

 

某卓球選手の、去年から延々と続く婚テロを見て、

老婆心ながら。