私の世代、小学校で習う地図記号には「桑畑」がありました。サンプルとして教科書に載っていた地図は、桑畑だらけ。
でも、当時の私の近所には桑畑なんかなくて。
「うちの近所にはないけれど、きっと、日本の各地に桑畑はフツーにあるんだろうな……」と。
あれから数十年。いろんな地域に引っ越しましたが、桑畑にはついに巡り会えず。
会社員だった頃、同僚たちにそんな話を振ってみました。各地から上京してきた同僚たちも「桑畑」は見たこともないと。
……もしかして、「桑畑」、かなりマイナーなものなんじゃないかしら。なのにどうして、地図記号ではあんなにでかい顔をしていたのか?
という長年の疑問が、昨日、ついに解けました。
昨日、両国の「江戸東京博物館」に行ってきたんです。その片隅に展示されていたこんなパネル。
なんと。明治維新の頃、廃墟となった武家地に「桑畑」が作られたんだそうです!
つまり、武家地が密集していた都心は、一時期は「桑畑」だらけ。
もしかしたら、その名残で、昭和に入ってからも東京の一部では桑畑は多かったのかもしれません。
それが、あの地図記号に結びついた……と。
つまり、「桑畑」は、明治維新の亡霊だったのです。
この推理、当たっているかしら?
ちなみに。
今、検索してみたら、桑畑の記号は、廃止されているみたいです。
でも、廃止されたのが2013年ですから、つい最近まで存在していたというのが驚き。
明治維新の亡霊、粘りましたねー