ビートたけしさんの独立騒動。
たけしさんとしては、こういう騒ぎを避けたくて、多くを語らず独立したはずです。
ところが、それが災いし、早速「愛人に洗脳された」だの「利権を独り占めするため」など、週刊誌に書かれるハメに。
たぶん、オフィス北野のスタッフがそんなことを仄めかしたんではないかと推測。芸能界ではよくある話。独立するタレントや役者さんの悪口をマスコミにリークする。
ですが、これをきっかけに、たけし軍団が怒りの反撃。
オフィス北野の内情をぶちまかします。
そして、社長をはじめスタッフの高給が暴露され、世の中の流れは一気に「たけし頑張れ! オフィス北野の経営陣、酷すぎる!」へ
……この流れから見ると、所属タレントの大部分が、オフィス北野を辞めるんじゃないかしら。そして、分裂。
これは、たけしさんが避けたかったこと。
そもそも、オフィス北野は、「たけし軍団」の互助会的な意味合いもあると思うんです。フライデー襲撃事件のときに加勢してくれた弟子たちを、一生面倒みるのが目的で。
この一連の騒動を見て、
「仏教もまた、こんな感じで分裂していったのでは?」と。
ここ最近、「大乗仏教」に疑問を抱きはじめた私、「そもそも、大乗仏教って、自分のことを〝大〟と称して、他を〝小〟と見下しているよな……」と。
で、原始仏教からの流れを、暇をみては調べているんですが。
仏教の開祖は、もちろんインドで生まれた「ゴータマ・ブッタ(以降お釈迦様)」。
お釈迦様の教えは実にシンプルで、
「苦しみから解放されて救われるにはどうしたらいいか?」という悩みから出発し、
「苦しみの正体は〝執着〟である」ことに気がつき、
「苦しみから救われるのは〝執着〟を捨てる事」という真理にたどり着きます。
「じゃ、〝執着〟を捨てるにはどうしたらいいか?」とその方法論を模索し、結果、
「正しい生活をすること」という結論を出します。
一方で、
「正しい生活をするのは、〝自分〟に他ならない。なので、自分を救うのは自分しかない。他に頼るな、他を拠り所にするな」
と、説いています。
これだけのことですが、シンプルすぎて、なかなか理解されません。
弟子たちは「具体例をあげてください。正しい生活とはなんですか? どうすればいいんですか?」と、質問しまくります。
お釈迦様はそのたびに、その弟子のレベルや立場に合わせて喩えを交えて易しく説きます。
弟子たちはその教えを自分流に解釈、アレンジし、それが後々、仏教の分裂を生む事になります。
そして、お釈迦様が亡くなって千年が経った頃、原始仏教を大幅にアレンジした大乗仏教が台頭してきます。今でいう、新興宗教のようなもので…
……って、仏教の歴史はまた別に語るとして。
オフィス北野の分裂の件です。
そもそもは、「たけし軍団」の互助会的な集まりだったオフィス北野。ところが、徐々に目先の利益や経営に目が奪われていき、しかも規模もどんどん大きくなる。
こうなると、「初心」が忘れられていくのは、世の常。仏教がそうだったように。
仏教に限らず、どの宗教も結局は分裂してしまいます。
なぜでしょうか?
ふと、アブラムシのことを思い出しました。
かつて、私は、ベランダでバラを育てていたことがあります。
ところが、あっというまに、アブラムシに占領されてしまいました。
殺虫剤を撒いてもダメ、なにをしてもダメであきらめていた頃、てんとう虫が飛んできて、一夜のうちにアブラムシを食べ尽くしてくれました。
「てんとう虫様! ありがとう!」と喜んだのもつかのま、
数日後には、またアブラムシに覆われるバラ。
てんとう虫が現れる前より酷い、大量発生。
まるでこぼれ落ちそう。……というより、こぼれ落ちてました、アブラムシの塊が。
「てんとう虫様、カムバーク!」と祈っていると、
ある日、翅(はね)の生えた小さな虫がちらほら群がっているのを見つけました。
明らかにてんとう虫ではない。……なに?
と、検索してみたら。
どうやら、翅(はね)のはえたアブラムシです。
そう、アブラムシにも、翅がはえることがあるんです!
どういうことかというと、その場所に個体が増えすぎた場合、自然と翅がはえた個体が誕生するんだそうです。他の場所に移るために。
つまり、アブラムシの「独立」です。
なるほど。
限界を超えて数が増えると、自然と「独立」する個体が誕生するんだな……と。
これは、生命全体の本能なのかもしれません。
と、すると。
仏教も、オフィス北野も、分裂は自然の摂理だったのかもしれません。