「感動ポルノ」という言葉をはじめて聞いたとき、「なるほど! これは、うまい!」と思いました。
というのも。
以前、Amazonだったか読書メーターだったか、いろんな作家さんのレビューを見ていたら、
「感動できると思ったのに、全然感動できませんでした。がっかりです」的な感想を見かけたんですね。
そのとき、なにか違和感があったのです。
で、
「感動」を「抜く」に置き換えてみたら。
「抜けると思ったのに、全然抜けませんでした。がっかりです」
なんとしっくりいくことか!
つまり、「感動」というのは、「快感」の別名なんでしょうね。
なので、それ以来、「感動した!」という人を見ると、「そうか、抜けたか!」と、意地悪な視線で見るようになってしまいました。
真面目な話。
「快感(抜く)」も「感動」も、(体内の澱みを)放出してすっきりする…という意味では、大切な行為だとは思います。
ただ、「感動」も慣れてしまうと、さらにその上を求めてしまう。
さらなる感動を生み出すために、わざわざ悲劇を作り出す…なんていうビジネスが生まれかねない(もう、生まれているかも?)
ちょっと危ういな…と。