私と同じメフィスト賞作家さんが、読者に噛み付く…というニュースがありました。
作家さんのほうに非難が向きましたが、私としては作家さんの気持ちが痛い程分かります。
ビビリな私は、辛辣レビューした人に突撃することはしませんが。
でも、とことん陰湿な性格なので、意地悪なレビューを見つけては、デスノートにこっそり記しています。
さて。
作家デビューしたとき。担当さんに言われたのが、
「ネットで、自分の名前を検索しないこと。レビューを見ないこと」。
言われて、
「はい、分かりました」とは言ったものの、
エゴサーチしない作家さんなんているんでしょうか?
作家に限らず、表現者ならば、絶対気になると思うんです。
私は、担当さんに警告されたその日に、早速エゴサーチしていました。
まあ、辛辣な意見がザクザクと。
中には悪意に満ちたものも。
で、思いました。
「作家として続けていく…ということは、この不特定多数の悪意を華麗にかわす精神力を育てるということなんだろうな」と。
私も、若い頃は、映画や漫画を見ては、結構辛辣なことを言っていたものです。毒舌かましている自分ってカッコいい…と酔っていたというか。
当時はネットはありませんでしたから、身内や友人に言っておしまいでしたが、今思うと、かなりこっぱずかしい。
というのも、当時けちょんけちょんに貶していた作品が、今見るとかなりよかったりするんですよね。
もちろん、その逆もあります。
当時は手放しで「素晴らしい!」と評価していた作品が、今見ると「え?」と。
つまり、作品の評価って、相対的。
時代や環境や年齢によって、かなり変わってきます。
で、半世紀生きて、分かったこと。
「この世に、〝絶対的な〟傑作も駄作もない」
例えば。
「殺人鬼フジコの衝動」は、単行本として発売されたとき、けちょんけちょんでした。
「更年期少女」(みんな邪魔)も、読書メーターに最初についたレビューは「駄作」の烙印。
ですが、この二作は、後に、よく売れてくれました。もちろん、売れている=高評価ではなく、今もそのレビューの中には「けちょんけちょん」もたくさん含まれています。
「けちょんけちょん」なレビューを読むと、私の欠点(癖)をずばり指摘してくれています。
でも、思うんです。「欠点(癖)」こそが、その作家特有の「個性」になり得る要素なんだと。
一方、「長所」というのは、大多数の人がいいんじゃない?と認める折り合い点に過ぎません。つまり、平均的な要素。これは、「個性」にはなり得ません。
長所を伸ばすだけでは、人の記憶に残るような「個性」にはならないんです。平均的になるだけで。
平均的な作品を書けば、そこそこ評価はされるでしょうが、「そこそこ」で終わりです。
平均的な美しい顔が、まったく印象に残らないのと同じです。
私の作品でいえば、「登場人物が多い」「話がてんこ盛り」「話が入り組んでいる」という点が「欠点」としてよく挙げられます。
素直な人なら、「よし、この欠点を修正しよう」とするでしょう。
でも、天の邪鬼な私は、それをしないできました。
むしろ、「欠点」を磨いてきました。
「この欠点の中に、唯一無二の個性、私だけの作風が隠されているはず」と信じているからです。
そうして、今日もアマゾンレビューをチェックする私です。
下は、「お引っ越し」のレビュー。
見事、意見がまっぷたつw