物心ついた頃から、夜は一人で留守番をしていました。
母が、夜の仕事をしていましたので。
それを苦に思ったことはなく、むろし開放感に浸っていました。
なにしろ、好きなテレビ見放題。
そんな私が、あるときから、テレビが怖くなったことがあります。
そのときの記憶というのが、こんな感じ。
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夏。
母が仕事に出かけてすぐの頃、テレビを見ていたら、突然、特番ニュースに切り替わる。
それは、鬱蒼とした森。
で、記憶が飛び。
次の記憶は、新聞の一面。
その見出しは
「悲劇嘆きのスカート」
場所は、鬱蒼とした森のようなところ。その一本の木に、スカートが絡まっている。
暗転。
なんだかよく分かりませんが、
それ以降、新聞とテレビがひどく怖くなり、
一人で留守番するのが苦痛でしかたなくなって……。
その頃です。
黒い殺人鬼に追われる悪夢を頻繁に見るようになったのは。
それから逃れるように、私は外に出て、街を徘徊。
夢遊病の発症です。
この一連の記憶を、ずっと夢か記憶違いだと思っていました。
だって、
この記憶は、小学校に上がるか上がらないかの頃。
そんな幼い私が、新聞の見出し「嘆きのスカート」を読めるはずもなく。
でも、大人になってもずっと気になっていたんですよね。
あの記事はなんだったのだろう?
少なくとも、私はあの特番のニュースと新聞にせいで、森が大の苦手になり、林間学校に行った時も、軽くパニックに陥りました。
つまり、トラウマを植え付けられたのです。
そこまで強い印象を与えた記憶が、「夢」や「記憶違い」のはずはない……と。
記憶をよくよく辿ると、
それは、飛行機墜落事件のようでした。
それで、調べてもみたんです。
その頃(1970〜1971年)に飛行機墜落事故は起きてないか?と。
でも、該当する記事は見つからず。
やっぱり、夢か?
その体験をモチーフにしたのが、「カンタベリーテイルズ」という短編。
が、数年前。
とうとう、あの記憶が現実だったことがはっきりします。
怖い話を求めて、サイトをさまよっていたとき。
「日本最強の心霊スポット」というのを見つけました。
それが、雫石の森。
「あ」と思いました。
記憶が反応しました。
「あのときの、森だ!」
そして、「雫石の森」を検索すると、
「全日空機雫石衝突事故」という事故に由来することが分かりました。
1971年(昭和46年)7月30日、全日空の旅客機と自衛隊の戦闘機が空中で接触し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した……という大惨事です。
こんな大惨事なのに、なんでそれまで検索することができなかったのか。なんでそんなに話題にならないのか。
たぶん、1985年(昭和60年)8月12日の日本航空123便墜落事故の影に隠れてしまったのかもしれません。
いずれにしても、大惨事です。
旅客機は空中で分解し、乗客乗員は全員、空から森に叩きつけられた状態で亡くなっています。
デリカシーと配慮に欠ける当時のニュースや新聞ですから、その様子をあますことなく流したのでしょう。
ご遺体の様子も。
それを見た幼い私が夢遊病になるほどの、ショッキングなシーンも。
その森が、今では、
日本最強(恐)の心霊スポット。
もし、それが本当ならば、
きっと、成仏できない魂がその地に留まっているのでしょう。
「思い出して」と。
1971年の全日空機事故のことは、ほとんど話題にもなりません。
一時はそのことを隠そうとしていたんじゃないかと疑ってしまうほど、マスコミもスルーしてきました。
まったく忘れられるよりは、
「日本最強(恐)の心霊スポット」という形で語り継がれるのもありなのかな……と思いつつ、
でも、やっぱり、「恐い」ではなくて、
「安らかにお眠りください」と手を合わせるのが筋だと思うので、
こうやって、このブログに書くことにしました。
合唱。
追記。
今でも、
飛行機から人が次々と落ちる夢や、飛行機が目の前で墜落する夢をよく見るのですが、やはり、この事故のイメージが強烈に残っていたんでしょうね。
その夢を見た翌日は、一日中、気持ちが重い。
そして、
いまだに森や山が猛烈に苦手で、それを画像で見ただけでも吐き気がするほど。
でも、これからは、そんな状態に陥ったらお経を唱えることにします。