いいえ、大丈夫だと思います。
小山田氏は、作曲メンバーの一人に過ぎません。作曲家は他に3人いらっしゃいますし、
なにより、音楽監督は別の方です。
音楽は健在です(と、信じたい)
と、ここで、今回の騒動を私なりに考えてみました。
1980年代は校内暴力が問題になり、
1990年代はイジメが問題になりました。
(マット殺人事件やコンリート殺人事件など)
そんな時代背景もあり、件の2誌は、「イジメ」記事を企画したのでしょう。
これだけ社会問題になったということは、日本全国、似たようなイジメが横行していたというわけです。
今では、「人権」や「平和」を語るような善人たちも、
あの有名人も、あのインフルエンサーも、会社の偉い人も、
かつては、いじめっこだった可能性があります。
いじめている意識はなく、遊びの延長で他者を傷つけていた人も多いでしょう。
(私もそういう意味では、かつて、いじめの加害者だった時期があるのかもしれない)
つまり、小山田さんは日本中にいるのです。
日本中から、いじめの加害者を全て消し去ってしまったら、もしかしたら日本の人口は1000人ぐらいになるかもしれません。
もちろん、小山田氏ほどの残酷ないじめをしていた人は少ないと信じたいですが。
それでも、小山田級のイジメを行っていた人は、割と多いかなぁと。
テレビの影響もあったかな……と。
マット殺人事件も、あれ、お笑い番組の影響だったんじゃないかと私は思っています。
お笑い番組で繰り返し放送される、罰ゲームという名のリンチ。そしてハラスメント。
きっと、学校のクラスでも「お笑い」のつもりで残虐行為や性虐待が行われていたんじゃないかと。
(特に、男子。男子が男子のパンツを脱がせる……なんていう行為は当たり前のように行われていました。お笑い番組では今も見かける定番の下ネタです)
お笑い芸人はプロですから、やるほうもやられるほうも加減はわかっています。
が、素人の、しかもガキんちょは加減を知らない。というか、大人よりも残酷です。
だから、悲劇が起こる。
小山田さんの一番の失敗は、大人になってからも、子供の頃の残虐行為を「自慢」しているように告白してしまった点。
あの記事が、「あんなことをしてしまった自分が許せない。イジメという行為は、被害者はもちろん加害者の心と人生をも殺してしまうもの。繰り返してはいけない」的な、真摯な反省ならば今回のようなことにはなっていなかったでしょう。
で、分からないのが、イジメ記事を載せた媒体の企画意図。
確かに、当時のサブカル界隈には「ちょっと悪ぶってみる」みたいな空気はありました。常識から少し外れて斜に構えている俺かっこいい……的な。
特に音楽をやっている人は、「俺、昔は悪かったんだよ(笑)」……と武勇伝を競うところもあったように思います。
だから、反省文的なものを載せたらカッコ悪いと思ったのかもしれません。
で、あの記事。
でも、それは、「呪い」となってしまいました。
当時はあの記事も受け入れてもらえたかもしれませんが(サブカル界隈では)、ネットの時代になって、あの記事が一人歩きします。
私も、掲示板やSNSで何度か目にしました。見るたびに、「わ……」と嫌な気分になりました。
そして、今。呪いはこれ以上ないというパワーを溜め込んで、爆発しました。
まさに、言霊です。
そう、今回の騒動は、イジメそのものではなく、言葉によってもたらされたものだと私は考えます。
あのとき、もっと違う言葉で、もっと違う語り口で、自身のイジメを語っていたら。
まったく違う「今」となっていたでしょう。
では、悪いのは、小山田氏だけでしょうか?
いいえ、そういう記事を載せた(たぶん、本人の言葉をよりおもしろおかしく脚色した)媒体も、同じぐらいに罪深い。
そして、そういうことを受け入れて許していたサブカル界隈も。
言葉には魂が宿ります。そして、「呪い」も。
今、小山田氏を口汚く罵っている人も、もしかしたらその言葉でいつか、自分自身を滅ぼしてしまうかもしれません。
言葉は武器でもありますが、それ以上に凶器でもあります。
使用の際は、慎重に。