この記事を読んで多くの人が連想したのが、三谷幸喜さんの「ラヂオの時間」ではないでしょうか。
スポンサーや上司そして大御所の無茶振りに加え、我の強いスタッフたちがあれこれと口を出して、当初の台本がどんどん変わっていく……。
この作品、三谷幸喜さんが(医療ドラマの傑作「振り返れば奴がいる」で)実際に体験したことがベースになっているんだそうです。
原作がどんどん変な方向に脚色されて、原作とはまったく別物になってしまった……という話は、ミステリー小説界隈でもよくききます。
政治的キャスティング、スポンサー的設定変更……なんていうのは日常茶飯事なわけで。
なので、私は、映像化のお話があったときは、
「好き勝手におやりください。脚本チェックも一切しません」と、丸投げしちゃっています。
どうせ、いろんな方面からあーだこーだと口を出されるのでしょうから、せめて原作者からは口を出さないようにしよう……というのが理由です。ライター、演出家の負担をなるべく減らしたい。
ドラマですらこうなんですから、国内で半世紀に一度あるかないかの世界的なイベント、いろんな人が口を挟むのは必然なわけで。
それを捌くのが「プロデューサー」の役目なんでしょうが、そのプロデューサーも、排除されたクリエイターの怨念(とトリックスターの文春の力技)で土壇場になって消されてしまいました。さらには足のひっぱりあい(たぶん嫉妬もあるんでしょうね)とネット民の無責任な放火で、歴史的なカオス状態に。
そんな状態であそこまで仕上げたのは、むしろ「よくやった」と。
結果的には、あのぐらいシンプルで質素なほうが、「コロナ禍」と「多様性」の時代には合っているんじゃないかと。今の時代、豪華演出でやったら、かえって叩かれていた可能性も。
オリンピックの中心は「開会式」ではなくて、競技。そしてアスリート。そんな当たり前なことを忘れがちな開会式が続いていたので、まあ、いい転機になったんじゃないかと思われます。
それにしても。
「イマジン」が、IOC案件だとは……w
いっそのこと、オリンピックのテーマソングにしたらいいんじゃないかと。