昨日、色々と考えていたら眠れず、結局徹夜。
なにを考えていたかというと、「老後と死後」について。
特に、死後については、色々と悩ましい。
何が悩ましいかというと、ほぼ天涯孤独な私の場合、自宅で死んだとしても「行旅死亡人」扱いになり、無縁仏になる率が高いからです。
なぜなら、私が私であるという証明をしてくれる人物がいないからです。
仮に、腐乱死体で発見されたとしたらなおさら。
せっかくお墓も買ってあるのに、それに埋葬されない可能性もある。
いやいや、その前に、猫姉妹のことが心配すぎる。
私の死後、猫姉妹を次のパートナーにちゃんと引き渡せるのか。
それに、この自宅はどうなるの? 遺品や家具の処理は?
……そんなことを寝る前に考えてしまい、ここ最近は、ずっと寝不足なのです。
「カウントダウン」という小説で、
「買うより、処分するほうが何倍も労力とお金がかかる」というようなことを登場人物に言わせましたが、まさに、それ。
生まれるより、死んだあとのほうが、色々と面倒。
野生動物のように、ひっそりと野垂れ死して土に還ればいいのでしょうが、人間の場合はそうもいかない。
一番面倒なのが、資産とか財産とか遺品とか。
生きている間にせっせと溜め込んできたものの処分。
資産や財産や遺品は、いってみれば、その人の「欲」の集合体のようなもの。
やはり、ある程度の年齢に達したら、「所有物(欲)」はマイナスにしていかないといけないなぁと。
いずれにしても、死後事務委任契約はしておかないと。
ということで、今、死後事務委任契約を取り扱っているいろんな団体の資料をかき集めているところなんですが、一長一短。
私のような生業の場合、「著作権」問題もありますので、やはり色々と面倒なのです。
理想なのは、猫姉妹が寿命を迎えて見送ったあとに、私自身が半年ぐらい前に余命宣告されて、著作権やら自宅やら遺品やらの整理をして、あとは葬儀とお墓のことをお願いして、身一つで死ぬ。
この理想を叶えるために、とにかく、猫姉妹の寿命までは絶対死んではならぬ。健康第一!とにかく寝よう!と、ようやく睡魔が訪れたのが朝の7時過ぎでした……。
こんなふうに、眠れないほど死後のことを考えてしまう理由は、やはり、西村賢太さんの急逝。
でも、西村さんの場合は、(絶縁されていた)親族の方が名乗り出て、そして担当編集者さんたちの頑張りで、滞りなくあの世に旅立つことができたように思います。
用意してあったお墓にも埋葬されて。
それもこれも、師匠である藤澤清造のお墓を守り、命日には「清造忌」を自ら主催し、二十数年間欠かさず参拝を続けたという行いの結果だと思うです。
身内だって、そんなマメな供養、そうそう真似はできません。
本当に、凄いことです。
だからこその、「大往生」(身内以外にこの言葉を使うのは失礼だとのことですが、あえて使わせていただきます)だと思うんです。
西村さん、草葉の陰で「まあまあ、いい人生だったかな」と、あの愛嬌のある笑顔で頷いてらっしゃるのでは?と。
さて、「本の雑誌」の最新号が届きました。
今月号は、西村賢太特集号です!
いやいや、ただの「特集」ではないですよ。
めちゃ、気合いが入っています!
その癖のある性格故、版元ともよくトラブっていた西村さんですが、愛されキャラでもありました。
各担当編集者の座談会は愛で溢れています。
そして、そして。
この年表!
(私が死んだあとも、こんな年表を作って欲しい……)
私も寄稿させていただいています。
それと。
そろそろ書店に並ぶ頃でしょうか。
「瓦礫の死角」の文庫版の帯に、言葉も寄せています。
やっぱり、見事な大往生でした、西村さん。
西村さんのような死を迎えられるように、私も日頃からこつこつと精進したいと思います。