家康自身、終のすみかには駿府を選びました。
それだけ、思い入れの強い土地だったのでしょう。
「ふるさと」のようなものだったのでは。
小さい頃読んだ偉人伝「徳川家康」という本では、駿府での今川人質時代は過酷なものだったと。で、ルサンチマンを募らせ、桶川の戦いで今川義元が打たれたのをきっかけに、独立……という流れでした。
でも、よくよく考えらた、それほど過酷だったら、いやな思い出が詰まっている駿府を終のすみかにはしないだろうし、なにより、今川氏真の首をとっていたと思うんですね。でも、氏真は割と長生きして、その子孫たちも、江戸幕府に高待遇で迎えられています。
つまり、家康にとって、今川人質時代はそれこそ「幸せな」日々だったのだと思われます。
「どうする家康」では、そういう解釈で描かれているのですが、納得です。
ところで、気になっているのは、ナレーション。
家康を「神の君」と呼んでいます。
これはきっと、家康を神と尊ぶ「誰か」が語っている……という設定なのだと思われます。
私は、春日局だと推測します。
春日局が、幼い家光(後の三代将軍)に、語って聞かせている……という設定なのでは。
おそらく、後半、ナレーションを担当する寺島しのぶが、春日局(おふく)として登場する……に1万ペソ。