真梨幸子mariyukiko’s blog

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エンタメ小説家の失敗学~「売れなければ終わり」の修羅の道

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平山瑞穂先生といえば私とデビューがほぼ同時期で、羨望の眼差しで仰ぎ見ていました。

デビュー作の『ラス・マンチャス通信』は話題になりましたから。二作目もヒットし、三作目の「シュガーな俺」も超話題になり、まさに順風満帆、時代の寵児という印象でした。私と正反対だ……と。

まさか、こんな熾烈な経験をされていたなんて……。

なにごとも、側からはその実像は窺い知れないものです。

 

歳を追うごとに思うのです。

この世は、「」で左右されると。まさに、ボードゲームの上のコマ。プライヤーが振り出す賽の目で全てが決まる……と。

例えばコロナワクチンなんか見ていると、あれこそ、「運」。運悪く死のロットに当たってしまったら、それこそ人生を失います。壮大なロシアンルーレット

 

若い頃は、「才能と資質と努力があれば、成功する」と思い込んでいました。

でも、「才能と資質と努力」だけではどうにもならないことは多いことを知ります。

「運」が大きく影響すると。

運がない人はどんなに才能があっても努力しても報われず、運がある人はとんとん拍子でコマを進める。

とはいえ、「運」は平等に誰にでも訪れ、パチンコでいう「フィーバー」は突然やってきます。その大きな波に乗るには、才能と資質と、日頃の努力が大きくものをいいます。

どんなにビッグウェーブがやってきても、それらがなければ意味がありません。

だから、やっぱり、「才能と資質と努力」は必要だけど、「運」がなければ開花しない。

 

個人的な体験でいえば、「殺人鬼フジコの衝動」という小説。単行本で発売されたときは箸にも棒にもかかりませんでしたが、その数年後、文庫化されてからヒットを叩き出しました。同じ作品なのに。

このとき、私は強く「運」の存在を信じるようになります。

単行本のときに売れなかったのは作品のせいではなくて、「運」が味方してくれなかっただけなのだと。

 

平山先生も「エンタメ小説家の失敗学」で触れていますが、2000年代の小説といえば、とにかく「共感性」があって、「ハッピーエンド」で、泣ける「いい話」が受けていました。

登場人物の誰にも共感できなくて、バッドエンドで、嫌悪感だらけの私のような小説は、売れるはずがないと。それでも、デビューできたのですから、メフィスト賞には感謝しかありません。

 

が、時代とは面白いもので。

東日本大震災以降は、共感できなくて、バッドエンドで、嫌悪感まみれの小説に「イヤミス」というカテゴリーが与えられて、売れるようになったのです。

それ以前に、とある担当さんがおしゃった言葉をよく覚えています。

「真梨さんが書く小説を求めている読者は必ずいるはず。どうやって掘り起こせばいいのかがわからない」。

そう、「運」は、人智を超えたもの。人がどうこうできないのです。それが面白くもあり、残酷でもあり。

 

実は、占いをちょっと齧っている私は、「私に『運』が訪れるのは2011年以降」というのが読めてはいました。半信半疑でしたが。まさか、本当にくるとは思っていませんでした。

そして、その「運」は儚いものだということも知っています。だから、運が味方してくれているうちに、貯金しようと思いました。

実用も兼ねて、資産性の高いマンションも背伸びをして購入しました。いざというとき、このマンションをお金に換えるつもりで。

できる範囲で、ハイブランドのバッグやジュエリーも買いました。ハイブランドのものは換金するときにいい働きをするのです。同じお値段なら、ノーブランドよりハイブランド

ギャンブルや投資は私には合わないので、こんな形で老後に備えています。

 

私の人生のピークは、間違いなく、2011年からその10年です。

そのあとは、下り坂。

今は、転ばないように、慎重に下山しているところです。

とにかく、健康が大事。特にメンタルヘルス。無理をせずに悠々と仕事をしていきたい。

 

誰しも、ピーク(頂上)に居続けることはできません。

居続けたら、それは「遭難」です。(by ユング