真梨幸子mariyukiko’s blog

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ウ○チとおちりから見る、男子の悲しき習性

うんこドリル…というのが大ヒットしているんだそうです。

あと、お尻が探偵になったり。

最近では、「コロコロコミック」で、チ○チン騒動が勃発。外交問題に発展する勢い。

 

しかし、

子供(男子)は下ネタが大好き。

私が小学校の頃は、「ガキでか」とか「まことちゃん」とか「トイレット博士」とか(女子から見ればあまりに品のない直接的な)下ネタ満載のギャグ漫画が大人気で、うんこドリルもおしり探偵のヒットも、その延長線上のものでしょう。

 

それにしても、男子の「おしり」と「ウ○チ」に対する執着というか妄執は凄まじいものがあります。

 

なぜ、男子は「おしり」と「ウ○チ」をこれほどまでに愛するのか?

フロイト的にいえば、それは「性欲」に他ならないのですが、

でも、ちょっと違う気もするんです。

「性欲」よりももっと深くて複雑な「なにか」がそこにはあるような。

 

ところで、うちのマリモさんは、ウ○チをしたあと大騒ぎ。

「見て見て! あたくし、立派なウ○チをしましたのことよ!」と興奮しながら部屋中を駆けずり回ります。

本来、排泄行為*は無防備です。

*ここでの排泄は、ウ○チのことです。おし○この場合は、マーキングの役目もありまた話は別

だから動物は、敵から狙われないように排泄は隠れてします。

排泄ブツもしっかり隠す。

猫もしかり。

 

なのに、なんで、マリモさんはあんなに大騒ぎするのか…。

調べたら。

敵に気付かれないうちに「排泄ブツ」から猛ダッシュで離れる…という本能が変調してたのではないか?ということ。

なるほど。

 

ということは。

古来、敵と戦うことが多かった男子も、その習性が強く残っているのかもしれません。

つまり、「排泄ブツ」から猛ダッシュで離れるために、排泄ブツを見たらただちに体を興奮状態にもっていくようにプログラミングされている。

その「興奮」がいつしか「快感」に変換されてしまい、排泄行為を象徴する「おしり」と排泄ブツそのものの「ウ○チ」に激しく反応するようになった…。

ということなんでしょうか?

 

そういえば。

男子は、「ウ○チ」が大好きな割には、学校で「ウ○チ」をすることを嫌います。

学校で「ウ○チ」をしてしまったら最後、イジメの対象になるほどです。

私が小学校の頃。

男子カーストの二番手、三番手ぐらいに位置していたのに、学校のトイレで「ウ○チ」をしてしまったために、カースト底辺になってしまった男子がいました。

なんでなんだろう?…とずっと思っていましたが、

排泄行為を隠したい…という本能からくるものだと言われれば、納得です。

つまり、男子にとって「排泄行為」と「排泄ブツ」は不名誉なことで、それが見つかった…ということは「敵」に負けた…という屈辱と同一なのかもしれません。

一方、「敵」の「排泄行為」や「排泄ブツ」を見ることは勝利の印。

大興奮へと繋がるのです。

 

……なるほどなるほど。

男子にとって「ウ○チ」は、愛すべきものであり憎むべきものなのかもしれません。

その愛憎が、「下ネタ」漫画の変わらぬ人気を支えているんでしょうね。

 

 

\ 男子って、単純よね /

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丸山ワクチンと森鴎外

今日の「仰天ニュース」で取り上げられた「丸山ワクチン」。

私が小さい頃に「夢の薬」として話題になり、そしていつのまにか「効果なし」「インチキ」のレッテルを貼られてしまい、私の記憶からも抜け落ちてしまいました。

が、私が知らなかっただけで、「丸山ワクチン」とそれを支持する人々の戦いは続いていたようです。

ネット騒然。「丸山ワクチンという優れた薬が、利権亡者たちによって潰された!」と。

が、反論する人も多い。「丸山ワクチンはそもそもインチキだ」「陰謀で潰されたわけではない」「これだから陰謀論者はww」と。

つまり、「丸山ワクチン」は嫉妬や陰謀で潰されたわけではない、はじめから効果などないから、今も認可されないのだ……と。

そんなやりとりを見ていて、どこかで見たような……と。

で、思い出しました。

「あ、森鴎外だ!」

 

森鴎外は、一般的に「文学者」と知られていますが、本業は医者。それもかなり地位の高いお医者様。なにしろ、東大医学部卒の陸軍軍医トップ様です。

そんな森鴎外は大変なことをしでかします。

日露戦争で、約3万人の陸軍兵を殺してしまったのです! 敵側の兵士ではなく、日本の兵士を。日露戦争戦没者は約8万8000人。そのうちの3万人が、森鴎外の失策のせいで死んでしまったのです。

3万人が亡くなった原因は「脚気」。

脚気は当時、謎の病でした。そして、日本の軍隊で蔓延していました。

ドイツでは「伝染病説」が唱えられます。ドイツ大好きな森鴎外は、この説をとり、

脚気は伝染病だ」と断言。

一方、海軍の軍医高木兼寛(鹿児島医学校出身)は、経験から「食べ物」に注目。栄養的なものが原因ではないのか?という仮定のもと、兵食に肉(カレー)や麦飯を取り入れました。※言わずと知れた「海軍カレー」のことです。

その結果、海軍の脚気はゼロに。

海軍は、食事を変えることで、脚気撲滅に成功したのです。

 

が、陸軍はそれを認めない。

「タマタマだ」「倫理的に説明せよ」「地方の医学部出身の軍医のくせに」と、徹底的に非難にするのみ。

食事を変えたことで脚気がゼロになった……という立派な症例があるというのに、それを認めないのです。

それは、軍医トップの森鴎外が「脚気は伝染病または中毒」と譲らなかったからです。東大医学部出身の森鴎外が言うのだから、間違いないと。

今となれば、脚気の原因は糠や麦や肉に含まれる「ビタミンB1」の欠乏だと知られていますが、当時は「ビダミン」すら知られていませんでした。だから、その因果関係を倫理的に説明することはできない。でも、食事と関係していることは結果が証明している。

が、組織のお偉様は「因果関係を示せ」「倫理的に説明しろ」と。

 

そうこうしているうちに、日露戦争がはじまります。海軍はカレーと麦飯で脚気は相変わらずゼロでしたが、陸軍は脚気で兵士がバタバタ死んでいく。

陸軍の中にも、「麦飯を支給してはどうか?」という声も上がったのですが、森鴎外はそれを頑として認めません。東大卒というプライドからなのか、ドイツという権威から離れられなかったからなのか、地方医学部出身の高木の説を、森鴎外はどうしも受け入れることができなかったのです。「脚気は伝染病説」に固執

そして、副食なしで「白米」(糠を取り除いた)のみ支給しました。

結果、約3万人が、脚気で死んでいったのです。

 

 

ところで、高木兼寛が達成した脚気撲滅の論文は、外国で高い評価を受けました。それは未知の「栄養」の存在に気づかせてくれるもので、「ビタミン」の発見につながっていくのです。

ちなみに、「ビタミン」の概念を世界で最初に提唱したのは、日本人の鈴木梅太郎す。が、彼は「東大」出身ではありましたが農学部出身で、医学者ではなく農学者でした。医学会はざわつきます。

「医者でもないやつは引っ込んでろ」「素人の戯言だ」と、散々にバカにされ、「インチキ」のレッテルまで貼られて排除されてしまいます。

そのせいで、世界で最初にビタミン発見……という栄誉を逃してしまいます。

その影には、またもや森鴎外

森鴎外が、どうしても認めなかったのです。「ビタミン」という概念を。

そして、相変わらず脚気は「伝染病」として譲らなかった。

頑固な森鴎外のせいで、陸軍ではその後も脚気で軍人がどんどん死んでいきました。

陸軍で、麦飯がようやく支給されるようになったのは、森鴎外が軍医をやめたあとだそうです。その期間三十年。その間、いったいどれだけの人が死んでいったのか……。

 

論理にこだわりすぎて、学術的権威にこだわりすぎて、学閥にこだわりすぎて、プライドにこだわりすぎて、大切ななにかを失念する。

 

どうですか?「丸山ワクチン」を巡る騒動ととても似ていませんか?

 

 

欠点は宝

私と同じメフィスト賞作家さんが、読者に噛み付く…というニュースがありました。

作家さんのほうに非難が向きましたが、私としては作家さんの気持ちが痛い程分かります。

ビビリな私は、辛辣レビューした人に突撃することはしませんが。

でも、とことん陰湿な性格なので、意地悪なレビューを見つけては、デスノートにこっそり記しています。

 

さて。

作家デビューしたとき。担当さんに言われたのが、

「ネットで、自分の名前を検索しないこと。レビューを見ないこと」。

言われて、

「はい、分かりました」とは言ったものの、

エゴサーチしない作家さんなんているんでしょうか?

作家に限らず、表現者ならば、絶対気になると思うんです。

私は、担当さんに警告されたその日に、早速エゴサーチしていました。

まあ、辛辣な意見がザクザクと。

中には悪意に満ちたものも。

で、思いました。

「作家として続けていく…ということは、この不特定多数の悪意を華麗にかわす精神力を育てるということなんだろうな」と。

 

私も、若い頃は、映画や漫画を見ては、結構辛辣なことを言っていたものです。毒舌かましている自分ってカッコいい…と酔っていたというか。

当時はネットはありませんでしたから、身内や友人に言っておしまいでしたが、今思うと、かなりこっぱずかしい。

というのも、当時けちょんけちょんに貶していた作品が、今見るとかなりよかったりするんですよね。

もちろん、その逆もあります。

当時は手放しで「素晴らしい!」と評価していた作品が、今見ると「え?」と。

つまり、作品の評価って、相対的。

時代や環境や年齢によって、かなり変わってきます。

 

で、半世紀生きて、分かったこと。

「この世に、〝絶対的な〟傑作も駄作もない」

 

例えば。

「殺人鬼フジコの衝動」は、単行本として発売されたとき、けちょんけちょんでした。

「更年期少女」(みんな邪魔)も、読書メーターに最初についたレビューは「駄作」の烙印。

ですが、この二作は、後に、よく売れてくれました。もちろん、売れている=高評価ではなく、今もそのレビューの中には「けちょんけちょん」もたくさん含まれています。

 

「けちょんけちょん」なレビューを読むと、私の欠点(癖)をずばり指摘してくれています。

でも、思うんです。「欠点(癖)」こそが、その作家特有の「個性」になり得る要素なんだと。

一方、「長所」というのは、大多数の人がいいんじゃない?と認める折り合い点に過ぎません。つまり、平均的な要素。これは、「個性」にはなり得ません。

長所を伸ばすだけでは、人の記憶に残るような「個性」にはならないんです。平均的になるだけで。

平均的な作品を書けば、そこそこ評価はされるでしょうが、「そこそこ」で終わりです。

平均的な美しい顔が、まったく印象に残らないのと同じです。

 

私の作品でいえば、「登場人物が多い」「話がてんこ盛り」「話が入り組んでいる」という点が「欠点」としてよく挙げられます。

素直な人なら、「よし、この欠点を修正しよう」とするでしょう。

でも、天の邪鬼な私は、それをしないできました。

むしろ、「欠点」を磨いてきました。

「この欠点の中に、唯一無二の個性、私だけの作風が隠されているはず」と信じているからです。

 

そうして、今日もアマゾンレビューをチェックする私です。

下は、「お引っ越し」のレビュー。

見事、意見がまっぷたつw

 

 

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