ウクライナ侵攻に対する悲しみと戦争終結を祈って千羽鶴を折る人々が全国にいるようです。
そのムーブメントを見て、「無駄無駄」と一蹴したのが、ひろゆきさんとメンタリストさん。
お二人はリアリストなので、「無駄」と斬り捨てるのは理解できます。
でもね……。
それが、仮に「良いことをした自分」という自己満足であったとしても(所詮、世の中の善行、ボランティアはすべて自己満足。自己満足は悪いことではない)、私は、このムーブメントを簡単には否定できないな……と。
まあ、言ってみれば、千人針のようなもので、そこには「祈り」が付随されます。
いや、「祈り」こそがメインで、千羽鶴や千人針のほうがおまけのようなものです。
お金や物だけで解決できないものは世の中にはたくさんある。
一つの鶴も何千と集まれば意識の集合体となり、なにかを動かすきっかけになると思います。
もちろん、戦禍のウクライナに送っても先方のご迷惑になるでしょうから、神社に奉納するなり、職場や学校に飾るなりして、「戦争反対」の意思を表明するだけでいいのです。
まあ、プラカードのようなものですよ、千羽鶴は。
私的には、YouTubeやSNSで「無駄無駄」と揶揄する暇があるなら、静かに鶴ひとつ折ったほうがなにかしらの意味があると思うんですが。
みなさんはどう思いますか?