ちょっとタイミングが遅れましたが、「どうする家康」の最終回、よかったですね。
なにがよかったって、茶々さまの壮絶な最期ですよ!
まるで、現在の世に呪いをかけたような恨み節。変に美化することなく改心することなく反省することなく、「ようやった」と自己正当化の局地のような自画自賛を吐いて、命を断つ。信長より信長していました。
「どうする家康」は、茶々さまの登場で、俄然、面白くなったように思います。正統派美人さんが、ああいう癖のある強烈なキャラに挑戦し、やりきる。素敵すぎます。かっこいい。
「どうする家康」は、概ねよかったと思うのですが、なにしろ瀬名の設定が間違っていたように思われて、それだけが残念。瀬名を聖女設定ではなくて、嫉妬に苦しみ悶えるような猛女設定にしていれば、もっともっと記憶に残る作品になったのではないかと。
あと、阿茶の局。まるでモブキャラのように唐突に登場しましたが、その後は出ずっぱりで、大活躍。クレジットでも主役の次に記されるぐらいの重要人物になりました。つまり、準主役ですよ! なのに、出会いとか馴れ初めのエピソードがまったくないので、それが勿体無いな。正室と側室のあれこれをもっとドロドロと描いてくれたら、時代を超えた女性の悲しみの本質が垣間見れたのではないかと。
で、最終回で最も驚かれさたのが、天海です。はじめ、まったくわかりませんでした。小栗旬さんであることが!
みごとな化けっぷり。
その他にも、クレジットに突然現れた「いとうまい子」の名前。私世代なら、誰もが「え?」ってなったはず。でも、いたかな……。同姓同名の役者さんかな……と、ずっともやもやしてました。
で、NHKプラスで繰り返し確認したところ、いましたよ! いやだ、こんなところに! いわゆる、カメオ出演ってやつですね。とんだサプライズです。
さて。天海。
江戸時代が260年も続き、世界でも珍しい「超長期安定政権(しかも軍事政権)」を築けたのは、天海が江戸という街にしかけた「呪(まじな)い」が理由に他なりません。
江戸という街が、陰陽道に則って作られたことはよく知られていますが、平将門を江戸の守護神としたのはご存知でしょうか。
ウィキペディアによると、
城門と見張所がある要所に、平将門を祀った神社や塚を設置したとされる。将門の首塚は奥州道に通じる大手門、将門の胴を祀る神田神社は上州道に通じる神田橋門、将門の手を祀る鳥越神社は奥州道に通じる浅草橋門、将門の足を祀る津久土八幡神社は中山道に通じる牛込門、将門の鎧を祀る鐙神社は甲州道に通じる四谷門、将門の兜を祀る兜神社は東海道に通じる虎ノ門に置かれたとされる。天海は、将門の地霊を、江戸の町と街道との出入口に祀ることで、街道から邪気が入り込むのを防ぐよう狙ったとされる。
首塚は有名ですね。何度も取り壊しの危機にさらされましたが、そのたびに呪いが発動、今ではビルとビルの間で大切に保護されています。
そう、あの場所は、江戸(東京)を守るためのもの。絶対に、取り壊してはいけないのです。
実は、首塚があった場所は、元々は古墳があったとされています。そして、江戸最古の神社がありました。つまり、あの場所は、江戸時代がはじまるもっともっと前からの鎮守の地で、地元の人たちが大切に守ってきました。だからこそ天海はここを選び、「平将門」という怨霊キャラを設定して、呪術の場としたのではないでしょうか。
ちなみにオカルト脳の私は、あの場所に卑弥呼(皇女(ひめみこ))のお墓があったんじゃないかと想像。
天海より前(室町時代)に、江戸に魔法をかけた人物がいます。それは、太田道灌。江戸城を作った人です。
もともと太田道灌は川崎幸区の加瀬山に城を作る予定だったのですが、その場所で不吉な夢を見ます。それで太田道灌はここに築城するのを諦めて、現在の地に江戸城を作ります。ちなみに、加瀬山は、この逸話にちなんで現在は「夢見が崎」とも呼ばれています。
太田道灌は、あちこちに不思議なエピソードを残しており、実は、(オカルト的な)能力者だったんじゃないかと思われます。その太田道灌が、今の地に江戸城を作った。これは、絶対に大きな意味があります。あの地こそ、関東を護る要だということを見抜いていたのです。
その証拠があります。
海面の上昇をシミュレーションするサイトがあるのですが、60メートル海面が上昇しても、江戸城(皇居)がある場所は水没しないんです。
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関東一帯、ほぼ水没するのに。
すごくないですか?
これだったら、2025年7月5日に巨大津波が来ても、皇居だけは助かりそうです。
もともとあの場所は岬の突端で、高台ではあります。
だから、他よりも標高は高い。
とはいえ、他の台地はあっけなく水没するのに、あの場所だけは沈まないって。
太田道灌は、いったいどんな魔法をかけたんでしょうね?
それとも、すでに魔法がかかった土地だった可能性もあります。
もともと岬の突端は神聖な場所とされており、縄文時代から神が祀られていました。今も神社が高台の突端にあるのはそれが理由です。神社は、縄文時代の神が由来であることが多いからです。江戸城(皇居)があるかの地は、それこそ東日本を統べる神が祀られていたのではないかと。
ちなみに。関東に所替えになったとき、(太田道灌が要塞として作った)小さな城を拠点(中心)とするように家康に指南したのは天海だそうです。
やっぱり、天海は見抜いていたんじゃないかしら。
かの場所が、東日本、ひいては日本を護る神が祀られていることを。
その場所に、今では天皇御一家がお住まいになられて、日々、祈りを捧げられている。
偶然とは思えないのです。
いずれにせよ。
江戸時代の繁栄は、太田道灌と天海の「呪術」と、そして江戸城の地に祀られた神のおかげではないかと思うのです。
そして、江戸城(皇居)と将門の鎮守がある限りは、東京は何度破壊されても、何度も蘇るでんではないかと。
よし。
来年の初詣は、将門にちなんだ神社と、皇居に行くことにしましょう。