『老化を楽しむ』が、還暦後の私のテーマです。
老化は悪いことばかりではない、ということを実感したことがあります。
それは、ここ数年、急激に体毛が減ったこと。
私は体毛が多くて、それが若い頃からの悩みでコンプレックスでした。
特にスネ毛の多さときたら。
「クマのようだ」と、同僚に笑われる始末。
ムダ毛処理は日常ルーチンのひとつだったのですが、
この数年で、その頻度もかなり減りました。
なんと、徐々に薄くなってきたんですね。
今では、残っているのは片方で十本ぐらい。しかも細く短くなってきたので、処理する必要はなくなりました。
脇のほうも、あんなにボーボーだったのに、10年ぐらい前から薄くなり、今では完全にありません。
「ああ、ムダ毛処理をしなくて済む!」という喜びの一方で、
「体毛が少なくなるっていうのは、老化現象なのか?」という発見も。
だとすると、本来は、体毛ボーボーは若さの象徴なのです。
なのに、人は、その体毛を毛嫌いし、脱毛にかなりの時間とお金をかけています。
つまり、老化することに必死なんですよ。
これって、不思議だなぁって。
「黒ずみ」もそうですね。
生殖能力がピークな時期って、あちこちが謎に黒ずみます。
B地区がその代表。
それをピンク色に戻そうと努力するんですが、加齢すると、自然とピンクになります。
つまり、黒ずみが取れるということは、これも老化の一種。
あと、二重瞼もそうかな。
二重瞼って、生物的にはかなり珍しく、ヒト以外はあまり見かけない。
そもそも、二重って、「シワ」に他ならないんですよ。そう、老化。
だから、一重の人も歳をとると、自然と二重になるんです。
子供の頃から二重瞼があるヒトは、本来、生まれながらに老化しているようなものなんです。
なのに、それを作ろうと躍起になる人々。
この不思議な現象は今にはじまったことではなくて、昔から、美容は病的なところがあるんですよね。
大河ドラマ「べらぼう」でも、病的な髪型が流行っています。「疫病本多」という髪型なのですが、これは、病人のようにあえて髪を減らして、曲げを細くしたものです。
吉原遊びをする長谷川平蔵が「シケ」にこだわるのもそうです。「シケ」は、簡単にいうと乱れ髪、今でいうアホ毛みたいなもので、本来、やつれた病人を表す髪型でした。
そう、当時の若者は、あえて、病的に見せることで粋を競っていたのです。梅毒もまたファッションのひとつで、「梅毒になって一人前」という風潮があり、わざわざ梅毒になりに遊郭に通っていたほどです。
西洋でも、病的に見せるのがファッションであった時代が長い。
19世紀の結核ファッションというのが有名です。結核文学の影響か、「結核=カッコいい(美しい)」という考えが広まり、あえて、結核になる人が続出したのだとか。事実、結核になると顔色が悪くなるのですが、それが「美しい」とウケていたんです。
昨今の、「痩せ」信仰もまた、病的ファッションのひとつでしょう。
病気をしたり、歳をとったりすると自然と痩せるものですが、それを健康で若い人たちが目指しているわけです。
美容ってなんなんだろう?と思います。
美容のために、体に悪いことをしたり、加齢を進ませたりしているんですから。
つまり、美容って「擬似老化」のことなんじゃないの?って
いずれにしても、加齢によって、劇的に見た目が変わるのは、これもまた「ヒト」だけ。
この辺に、「美」の謎があるのかもしれません。
\ アタクシ、人間でいえば52歳ぐらいだけど、若い頃とほぼ変わりないわ /