不動産ウォッチングが、なによりの大好物です。
不動産サイトや不動産動画を見て、気に入った物件があったら
そこで暮らす妄想をしてひとときの至福に浸ります。
で、ずっと前から気になっていることがあります。
うっとりするようなおしゃれな「モデルルーム」にはテレビがない問題。
テレビどころか、冷蔵庫も洗濯機もない。
それらを置くスペースには、どでかい観葉植物。
掃除機もなければ電子レンジもない。
パソコンすら。
もっといえば、電源コードらしきものも一切ないのです。
吉幾三さんの「俺ら東京さ行ぐだ」の歌詞のような有様なのです。
テレビも無エ 冷蔵庫も無エ
ダイソンというのは何者だ?
洗濯機防水パンはあるけれど
洗濯機そのものを見だごとア無エ
新聞無エ 雑誌も無エ あるとしたら英字新聞
電源コード無エ ある訳無エ この部屋には電気が無エ
つまり、
「モデルルーム」はとてつもなくおしゃれな部屋であるわけですが、
実際に住んでみたら、ひどく不便。
その代わり、やたらと観葉植物があったりして、
緑は溢れています。
まさに、吉幾三さんが歌った究極の田舎暮らし、
もっといえば、原始的な暮らしなわけです。
「モデルルーム」というのは、生活感をとことんなくした暮らしを再現しています。
生活感=非おしゃれ
だからです。
究極のおしゃれを目指す「モデルルーム」にとって、生活感は敵。
とことん削らなければならないものです。
その結果、文明の利器がすべて削られる……という結果に。
もはや、縄文時代の竪穴式住居です。
だから「モデルルームが気に入ったから、この部屋に住む!」
と私たちが実際に住んでみても、モデルルームのような暮らしにはならないのです。
だって、生活しているのですから。
どうしても「生活感」がでてしまう。
テレビや冷蔵庫や洗濯機や掃除機や電子レンジをを置いた時点で、
もっといえば、電源コードのプラグをコンセントに差し込んだ時点で、
もう「モデルルーム」ではないのです。
「おしゃれ」ではないのです。
ここで、私はいつも考えます。
では、「おしゃれ」ってなに?
それは、きっと、俗世ではない状態をいうのではないでしょうか。
寺や修道院で暮らす出家者の暮らしぶりを「おしゃれ」というのでは。
つまり、
「おしゃれ」というのは、煩悩を浄化する修行のひとつなのかもしれません。
……知らんけど。