眞子様と小室さんの婚約内定会見のときから、
いやーな予感がしていたんです。
小室さんの友人知人が女性ばかりなこと、男友達が一切でてこないこと。
なにより、小室さんの眉毛が半分ないこと(変な眉カット)。
その夜は、いやーな予感が渦巻いて、眠れませんでした。
スキャンダルスキャンダルスキャンダル…という文字が部屋中に溢れかえる感じ。
私は皇室肯定派で、
できればこれからも末長く、未来永劫、日本の輝ける象徴として存在してほしいと考えておりました。
でも、今、その思いがちょっと揺らいでおります。
秋篠宮家は「自由」を重んじる家風。裏返せば「皇族は不自由だ」ということなのか?と。
それほど自由を望まれるなら、皇室は解体したほうが皇族のためなのか?と。
そもそも。
自由ってなに?
私たち国民は、そもそも自由かしら?
いろんな制約があるし義務だってある(労働、納税、教育)。
職業選択の自由とはいいつつ、全然自由じゃない(希望の職業に就ける人は超少数)。
どんなに好きでも結ばれないことのほうが多い。
お互い好き合っていても結ばれないこともある(不倫とかね)。
お酒を飲んで車に乗ったら罰金だし、人を殺めたら刑務所行き。
いろんなルールと法律と義務と倫理と世間の目という制限の中、私たちは生きています。
でも、一番の制限は「お金」ですね。
年収三百万円とかの生活では、謳歌できる「自由」はかなり少ない。
カントいわく。
「自由とは、誰に命令されなくても自分自身で律することができること」
つまり、法律や義務や世間の目などから強制されることなく、
自らを律して道徳的に生きる姿こそが「自由」なのだと。
思春期で荒ぶっていた高校時代、倫理社会でこれを教えられ、目から鱗が落ちたことを覚えています。
そうか。自由とは、盗んだバイクで暴走することでも、教室の窓を割りまくることでもないんだ。
自分自身の意思で、バイクを盗まず、教室の窓も割らないことこそが、「自由」なんだと。
そういう意味では。
「自由」は、どんな人にも、どんな環境にもあります。
貧乏人でも。お金持ちでも。受刑者でも。病人でも。
そして「皇室」にも自由はあるように思うのです。
皇室に対してこんな意見をいうこと自体、恐れ多くて、手が震えます。
それほどまでに、日本人にとっては、メンタル的に大切な存在。
だから、
昨今の騒動が本当に悲しくて、残念で。
日本人の心の乱れが、そのまま反映しているようで。
ちなみに、私は女性天皇賛成派です。
その願いも込めて、「縄紋」という小説も書きました。
もともと、日本は「女帝」がクニをおさめていました。
その証拠は、天照大神。
女神様です。