ちむどんどん反省会

ちむどんどん、見てます?」

先日、打ち合わせランチ会のときに、突然担当さんに訊かれました。

 

「ううん。2ヶ月目で脱落した」

私は答えました。

「なぜです?」

なぜだろう?

たぶん、イライラするのがいやだったから。

見たら最後、イライラして一日が台無しになるのがいやだったから。

これ以上、登場人物たちを嫌いになるのがイヤだったから。

でも、なんで、「ちむどんどん」のことを訊くんだろう?

と思ったら、

「『#ちむとんどん反省会』っていのうがめちゃ流行っているんですよ」と。

さすが、流行アンテナが敏感な編集者である。

早速、検索してみると、

 

toyokeizai.net

 

あららら。

こんなことになっているんですね。

まあ、確かにイジメの構図に似ているかもしれない。

私も、見続けていたら、あまりのイライラに発散する場を求めていたかもしれない。

でも、私の人生も後半戦。残された時間をイライラで消費したくない。

だから、「あ、この作品、だめだ。肌に合わない」と思ったら、潔くその作品から身を引きます。

人間関係もそうです。

「あ、この人と一緒にいると、イライラが爆発するかも?」と思ったら、潔くフェードアウトするようにしています。

若い時だったら、どんなに苦手な相手でも「逃げてはいかない。相手を理解しなくては」と、果敢に挑戦していたかもしれませんが。

でも、この歳になるとわかるんです。

理解できない人(モノ)には、深入りしてはいけない……と。

結局、それが一番、平和なのだと。

人も動物も、「テリトリー」が重要。

分かち合えなくても、それを侵略せず尊重することがこそが大切。

「理解し合いましょう!」と、そのテリトリーに踏み込むことで、悲劇が生まれるのです。

 

ちなみに、私が「ちむどんどん」から離れた理由のひとつに、

フィンガー5」の話題が1ミリも出てこなかったこと。

南沙織はちらっとでできましたが)

あの時代を背景にした沖縄ドラマで、フィンガー5を無視するとはどういうこと?

まずそれで「イライラ」が発症し、それからは芋づる式で……。

あとは、やはり、登場人物の造形が、人生後半戦の私にはうるさくて……(悪口ではないです、念の為)

ほら、元気すぎて自己主張の激しい人が近くにいると、エネルギーをすべて吸い取られてヘトヘトになるような、あんな感じになるんです。

でも、黒島結菜さんは大好きな役者さんです。「アシガール」はのめり込むようにして見ていたな……。

あくまで、「暢子」というキャラが苦手なだけなんです。

 

一方、大河ドラマの「鎌倉の13人」はあまりに素晴らしすぎて、1話につき三回も見る始末。(フライング、本放送、再放送)。

あんなに残酷で非道な殺戮続きなのに。

でも、私の肌にぴったりと合うのです。

 

人生は短い。

自分の肌に合わないものと長々と付き合って、台無しにはしたくなものです。

「だめだこりゃ」と、きっぱりとそれから逃げることも必要。

逃げるが勝ち」です。

悪口はストレス発散でもありますが、でも、その一方で体を蝕みますからね。

 

 

あたくしも、モナミちゃんのこと苦手だけど、ほどよい距離感でなんとか平和に過ごしているわ