札幌で起きた、猟奇殺人事件。
被害者は女装家ですが、中身はいたって普通の男性のようでした。
そんな事件が話題になっている最中に、こんな判決が出ました。
あくまで、いち職場のトイレの使い方で最高裁判決が出たということなので、一般的な公共施設や民間の施設での「女子トイレ」の使い方が変わるということはないと言及はされていますが。
いやはや。難しいところです。
前述した「女装は好きだけど、中身は普通の(性欲を持った)男性」という例。
こちらは想像以上に多いと思います。
ユニセックスなファッションが流行っていますし、メイク男子も急増中。
そもそも、女装とか男装というのは、社会が勝手に作ったシステムのようなもので、記号であります。本能とはまったく関係ない。
なので、普通に男性の性欲を持った人の中にも、いわゆる女性的なファッションをしたいと思う人は多いでしょう。その逆も。
男装の麗人といえば「ベルばら」のオスカルですが、彼女は考え方や服装が男性的であるだけで、性的にはまったくの女性。初恋の人も夫と決めた人も、男性でした。
つまり、見た目やファッションだけで、中身までそれとは断定できない。
ユニセックスな見た目だからと言って、中身が男性の人を、オリンピックでは「女性」とは認めないのと同様です(この定義も今は徐々に壊れつつありますが)。
こうなると、女性ってなに?
男性ってなに?
という根源的な問いになります。
私個人の経験を語れば、
小学四年生ぐらいからなんとなく男子っぽい服装を好むようになり、中学生になるまでスカートを履いたことはありません。
女の子っぽい服装を嫌悪していました。
中学校は制服なのでいやいやスカートを履いていましたが、その下にはトレパンを必ず着用。
今でいう、レギンスにスカートみたいな感じでした。
とにかく、男子に「性」の対象とし見られたくなかったんです。
これには深いわけが。
他より成長が早かった私は、第二次性徴が出るのも他より早かったんです。
そのせいで、めちゃめちゃ嫌な思いをたくさんしました。
思い出したくもない。
だから、女子っぽい服装は拒否しましたし、言葉遣いも荒かったし、行儀も悪かった。
女子っぽく見られることに、とことん抗った。
中学生になった頃は、「いっそのこと、男性になりたい」と真剣に思ったものです。
もし、当時、私の訴えを真面目に聞いてくれる人がいたら、私を病院に連れて行き、そして、性同一性障害と診断していたかもしれない。
でも、女子校に進学してから、ころっと変わったんです。
男子の目がなくなり、自由になった。
自由になったとたん、秘められた女子力が爆発。
こっそりメイクしたり、オシャレも楽しんだり。
推し活の相手もちろん男性(田村高廣様)です。
私個人の経験からいえば、思春期には自身の性を嫌悪するケースがある。
女性になりたい、男性になりたい……と考える人は多いかと思います。
さらには、その延長線上で、同性に恋心を抱く場合もある。
でも、それは一過性のものも多い。
思春期というのは、性と心がブレる時期でもある。
そんな思春期を卒業しても、性と心が一致しない場合は、本物でしょう。
ところで、思春期と同じように、性と心が暴走する時期があります。
それは、「更年期」。
(男性にも「更年期」はあります)
個人的経験からいえば、更年期のほうがよりヤバい。
成熟していたはずの理性が吹っ飛ぶほどに。
私はなんとか乗り越えましたが、しかし、なんだ。
人の一生って、常に「性ホルモン」に操られている状態です。
もはや、理性をも凌駕する。
女性の場合、更年期を過ぎると(閉経すると)、もう生物的には「メス」ではなくなります。
あれほど人生を左右していた女性ホルモンも枯渇しますし、なにより、生理という現象から開放される。
「メス」でなくなった今は、ただの「人間」になります。
言ってみれば、性を超越した存在ではないでしょうか。
(だから、一部のおばちゃんは、男子トイレにも平気で入れるし、混浴も平気)
私は断言できます。更年期を乗り越えたおばちゃん最強説。
さて、ここで、今回の裁判です。
訴えを起こした(戸籍上は)男性の方。
これからもずっと、一生、女性ホルモンを打ち続けるのだろうか?というのが一番気になりました。
この男性にはぜひ、「メス」を卒業したおばちゃんの開放感も味わってほしい。
女子トイレでも男子トイレでも入れる、おばちゃんの開放感を。
(私は潔癖症なので、違う意味で男子トイレには入れませんがw そもそも、公共のトイレには入れない)
\ わたしたち、すでに女子でも男子でもない、孤高の存在よ /
\ だって、生まれてすぐに、避妊手術させられたからね /