誰かが言っていました。
「頂上に居続けることはできない。頂上に居続ける、それは遭難という意味だから」
つまり、人生、ある程度のピークを迎えたら、その後は下山しなくてはならない……ということです。
登山より、下山のほうが難しいともいいます。
登るときより、下るほうが筋肉を使い、筋肉痛にもなります。
今、私は、「どう人生という山を下山するか」ということばかりを考えています。
とはいえ、私の人生のピークはそれほど高くはない。
エベレストやアルプスはもとより、富士山にも遠く及ばない。せいぜい、ボタ山程度のピークなのですが、それでも、下山の難しさを味わっています。
ところで、近所の書店が次々と閉店、徒歩圏では二店ぐらいしか書店が残っていません。
その書店には、私の本は見当たりません。
店内に置かれているのは話題の売れ筋の本だけ。
以前は、私の本も「話題の本」として置かれたことがありますが、たぶん、それが私の人生のピークだったのでしょう。
書店に行くと切なくなるので、最近ではとんとご無沙汰。
以前は、お腹がいたくなるほど(青木まりこ現象)、書店に通い詰めていたのに……。
人生の楽しみを失ってしまったのは、なんとも悲しいことです。
人間、みな平等とはいいますが、それを信じている人はどれぐらいいるでしょうか?
人間には、生まれながらにエベレストほどのピークを迎える人もいるいっぽう、公園のジャグルジムほどの高さがピークの人もいる。なんなら、ピークがない人もいる。というか、そういう人が大半。
脇役にすらなれないモブキャラたちが多数派で、それは、富の分配を見ても明らかです。
もはや、数十人の富豪が、地球の富の大半を独占している。
でも、富豪たちを羨ましいとは思いません。
あまりに高い山に登ると遭難しがちだし、なにより空気も薄いし、周囲には人もあまりいなくて寂しそうです。
下山したくても、そう簡単にはできない。
ジャングルジムだって、下り方を間違えたら、最悪死にます。
そう、高さって実はあまり重要ではない。
数センチの段差ですら、それで命を落とす人がいる。
そういう意味では、人間は「平等」で「公平」なのかもしれません。
「下り方を間違えたら即、死」という意味で。
ということで、今、私は、人生の山をどう下山するか……ということばかり考えています。
というか、下山を促されています。それに抗うことはできない。
そんな状態を「落ち目」と人はいいますが、人類全員「落ち目」の運命からは逃れられない。
というか、ピークに居続けることはできないのです。それは「遭難」ですから。
……というような小説が、この秋に発売されます。
書き下ろしです。
今、改稿中で、できたら、この作品がピークになってくれたら……と、甘い期待を抱いております。
下山のことを考えている……といいながら、ピークにも未練たらたらな、落ち目な私でした。
追記。
書き下ろしの発売は秋ですが、その前に、3月末に新刊がでます!
こちらは、連載をまとめたものです。
2月の末には、某作品の文庫化も発売予定です。
落ち目でも、まだまだがんばりますm(_ _)m