会社員だった頃。
健康診断のときに、メンタルチェックみたいなものがありました。
質問リストに「いいえ」「ときどきある」「しはしばある」で答えていくんですが、これに見事にひっかかり、再検査されるハメに。
どうやら、「死について考えたことがある」に「しばしばある」と答えたのがいけなかった。
で、カウンセラーのような人に呼ばれて、「なぜ死について考えるんですか?」と聞かれて、
「だって、人間は、死ぬために生まれてきたようなものですからね。そう、死は、100%、訪れるものです。それを避けて通ることはできません。なので、死について考えるのは、むしろ、人間として当たり前のことなんです。一度も死について考えたことがない人こそ、なにか問題があると思います」
と回答。
呆れられました。
今だったら、病院送りになっていたかも。
さて、そのメンタルチェックは、たぶん、DSM(精神疾患診断マニュアル)をアレンジしたものだと思われます。
DSM(精神疾患診断マニュアル)、改めてチェックしてみましたが、ワタシ、あてはまりすぎですw
すべて「一度もない」と答える人なんているんでしょうか?
もしいたとしたら、その人、AIかロボットなんでは?
というか、こういうチェックリストを見るたびに、社会って、人間になにを求めているんだろう……と思います。ロボット(家畜)にしたいのかしら。
「カッコーの巣の上で」という傑作映画あります。
人間性を破壊して、従順な生ける屍を大量に作り出す精神科病院が舞台。
ワタシ、この映画を見て、とてつもない恐怖を感じたんです。
そして、思いました。
「病院送りだけは避けたい」と。
さらに、
「とりあえず、大人の前では優等生を演じていよう」と。
小学生の頃です。
当時、ワタシは非常に反抗的で、親子関係も最悪でした。
母に、「あの子は病院に連れて行ったほうがいい」と忠告する人もいたようです。
実際、連れて行かれそうにもなりました。
母には、「キ●ガイ」とも、よく言われました。
そんな頃に見た「カッコーの巣の上で」。
自分という個性と自由を守るためには、ある程度の妥協と馴れ合いも必要なんだと学んだものです。
とりあえず、社会に擬態しなくてはいけない。
そして、優等生を演じるのですが。(ときどき、その化けの皮が剥がれましたが)
そのときの経験が、「殺人鬼フジコの衝動」を書くきっかけともなりました。
無論、ワタシは、フジコのように波乱万丈な人生は歩んでいないし、殺人も犯してませんが、一歩間違えたら、そういう人生を歩んでいたかもしれないなぁと。
でも、フジコのような人生を選んだら「負け」。
「ほらね、ああいうエキセントリックな子はやっぱり犯罪者になるのよ」と思われるだけです。
エキセントリックな子だって、法を犯さず、しっかり税金を払って、まじめに、正しく、つつましく生きることもできる。それを証明したいとも思いました。
……それが、小学生のワタシの目標にもなりました。
いずれにしても。
紙切れ数枚のチェックリストで、「人間性」を診断するなんて、なんて傲慢なことなんだろう……と思ったしだいです。
あ、ちなみに。
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— 徳間書店 文芸編集部 (@Tokuma_Bungei) 2023年3月14日
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