映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間 前編
この番組、凄かったです。
関東大震災を記録したフィルムを高精細・カラー化し、そして改めて時系列に並べ、場所も特定。
震災が人災であることがよく分かる。
1923年9月1日午前11時58分。
関東地震発生。本震とそれに続く二つの余震(合計三つの地震)が立て続けに発生したため、約10分間も震度6から7の揺れが続きました。
地震直後に撮ったフィルムからは、都民の余裕が見られます。
火事を遠巻きに眺めて、笑っている人もいれば談笑している人もいる。
「今の地震、大きかったよねー」という感じです。パニックにはなっていません。
イメージと違って、この時点では倒壊していない家屋のほうが多い。
(10分間も揺れて倒壊しない木造家屋!それには驚き)
で、1時間、2時間が過ぎ、火の手がどんどん迫ってくるあたりから、ようやく人々も慌てだします。まさに火事場の馬鹿力ともいいますか、重たいはずのタンスをひょいと背負っている人もちらほら。
家財道具を山と大八車に積んで(短時間でここまで持ち出せるのが凄い)、右往左往がはじまります。それでも、まだちょっと余裕。
夕方あたりから、パニックがはじまります。
隅田川にかかる橋に人が押し寄せて、群衆雪崩発生。次々と人が川に飛び込んだり、押し潰されたりの地獄がはじまります。
でも、これはまだ序の口。後編は、また明日……。
高精細・カラー化することにより、つい最近の出来事であるかのようなリアリティさです。
日本人、この時代はみな痩せてて筋肉質だな……なんて変なところで関心したり、なんで布団をみんな運ぶんだろう?なんて突っ込んでみたり。
※オイルショックとコロナ禍のトイレットペーパー騒動と同じく、当時は布団になにかしら意味があったのかもしれない。
いずれにしても、地震直後は、余裕そのものです。「お腹すいたね」と、お寿司を食べる人すらいたようです。(ということは、お店もフツーに営業していたということです)
つまり、「地震(揺れ)」そのものが、地獄なんではない。
その後にやってくる。人々の行動が、地獄なんです。
その地獄を「震災」と呼びます。
関東大震災のときは火災、阪神淡路大震災のときは倒壊した家や倒れてきた家具に押しつぶされての圧死が、最も多い死因だったとか。
つまり、揺れそのもので亡くなっているのではなくて、人が作ったもの、あるいは人の行動が死を招いているのです。
阪神淡路大震災の教訓で、我が家には高さのある家具はありません。
仕事部屋には本棚がありますが、それ以外の部屋は家具そのものを極力置かないようにしています。
住む家も、ハザードマップと睨めっこして、なるべくリスクのない町を選びました。
運命の日。
私はどこにいて被災するのか予想もできませんが、「人災」にはだけは巻き込まれたくないと、切に願います。
追記。
関東大震災があれだけの大惨事になった理由のひとつに「台風」があります。
台風が接近していて、強風が吹いていたことが、延焼につながった。
台風がくると地震が起こりがち?とずっと思っていたんだけど、あながち間違いではないような。
それと。
関東大震災から約20年後に東京大空襲があるんですけど、こんな短期間に2度も壊滅しておきながら、それでもまだ首都であり続ける「東京」って、やはり魔都。