トランスエイジという言葉を聞きました。
ガレソ砲でお馴染みの、滝沢ガレソさんのXより。
【話題】自分が考える自分の年齢と実年齢が異なる、トランスジェンダーならぬ“トランスエイジ”の男性がニュース番組に出演し話題に
— 滝沢ガレソ🌟 (@takigare3) 2023年5月7日
■ジャッキーさん
・自らを28歳と自認(実年齢は39歳)
・バイト先上司から「いい歳してなぜできない?」と叱責され年齢に違和感を持ち始めるhttps://t.co/gUMwHYRF63 pic.twitter.com/Goqf0dWdns
実年齢と自分が認識している年齢に違和感がある人のことを「トランスエイジ」と呼ぶのだそうです。
なんでも、ドイツでは、15歳と自認している31歳の人が、20歳以下のサッカーチームの参加を許されたケースもあるんだとか。
なんだか、ものすごい時代になってきましたね。
こうなったら、「自認」した年齢が実年齢という時代も訪れそうです。
自分がそう思うなら、性別も年齢も変えられる時代。
なんなら、「自認は猫」という人も、猫と認められる時代もきそうです。
そうなると、外には一生出られず、有無を言わさず避妊手術させられるのですが、それでもOKなんでしょうか。
今度、小説にしてみようかな。
自認ね……。
ということは、絶世の美女で超天才で歌も踊りも超絶で……という自認があれば、私でもそういう人物になれるんでしょうか?
仮想空間ではなれそうですね。
そうか。VRがリアルを超越した時代になれば、自認こそが全てなのかもしれない。
事実、仮想空間では、なりたい自分になっていますよね、みなさん。
私、このリアル世界すら、仮想空間なんではないかと妄想しています。
つまり、壮大な罰ゲーム空間。
そう、「カイジ」のような。
与えられた境遇と容姿と頭脳でサバイバルするという壮大なゲーム。
「与えられた」ハンディをそのまま生かしてサバイバルできた人はゲームの勝者。
でも、ハンディを生かしきれず、その容姿を変えたり、ゲームを放棄(自殺)するなどのズルをした場合は、さらなる罰ゲームが待っている。
……そんなことをときどき、妄想します。
それで、リアルと折り合いをつけているというか。
だって、なりたい自分とリアルってかけ離れているでしょう?
仮に、なりたい自分に辿り着いても「やっぱりなんか違う」と思ってしまう。
なりたい自分という欲望は際限がないのです。
お釈迦さまは、それを「煩悩」と呼びました。
煩悩から逃れるしか、自分自身を救えないと。
私も、自分の境遇や容姿や頭脳には不満がありますよ。
特に若い頃は、「なんでこんな顔なんだろう? なんでこんなにスタイル悪いんだろう? なんで女なんだろう? なんでこんな境遇に生まれたんだろう? ああなりたい、こうなりたい……」と悶々とていました。
でも、キリがない。
で、あるとき、開き直りました。
「もう、このスペックで最期までいくしかない。下手にあらがっても苦しむだけ」と。
そうそう。先日、59歳になりました。
来年は還暦です。
なんだか最近、とっとと70歳、80歳、90歳にならないかしら?と思うようになりました。
若さに対する執着が少しずつなくなって、中途半端に歳をとるなら、徹底的に歳とったばばぁになりたいと。
歳をとるのって、悪いことではない。
歳をとるごとに煩悩が抜けていてって、せいせいと暮らしていけるはずなのですが、トランスエイジとやらが広まったら、実年齢80歳の17歳とかも出現するんでしょうね。
17歳、戻りたくない!
だって、煩悩だらけでコンプレックスに塗れて悶え苦しんでいましたからね。
若いときのほうが、今の何十倍、息苦しくて、生きづらくて、悩んでいました。
それを繰り返したいなんて、1ミリも思いません。
今の私は、煩悩がすべて消えて、この人生(ゲーム)をきれいに終えたい……と願うばかりです。